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 2003年6月 No.1〜18

 No.1 誰も「主観」からしか語れない。 上山
 No.2 どこまでが暴力なのか ぽか
 No.3 公正な第三者とは言い難いですが… ウユウ
 No.4 感想です ちびた
 No.5 唖然とさせてごめんなさい ぽか
 No.6 とりあえず現段階でのまとめとして 上山
 No.7 ぽかさんに質問〜! ちびた
 No.8 「暴力」を私はこう考えた ぽか
 No.9 回避・否認の陥穽をいかに乗り越えるか しゃあ
 No.10 愚鈍なる地平から ぽか
 No.11 なぜか他人とは思えない… ウユウ
 No.12 ご迷惑おかけしています。 ぽか
 No.13 落第です ちびた
 No.14 そこから来ました ぽか
 No.15 レッツ プレイ! ちびた
 No.16 いただきます ぽか
 No.17 君も、透明犬ミケーレを連れて歩かないか? しゃあ
 No.18 独善のリング ぽか



No.1 誰も「主観」からしか語れない。
上山 6/1(日) 00:38:46 No.1646-20030601003735
ぽか> 掲示板を変えた理由は,そういう訳でしたか。
ぽか> でしたら,そっちのBBSに続きを記すべきだったかもしれません。

 いや、掲示板は私見では議論にはやや不向きです。トピックが分散するので第三者が議論のフォローを行うのは困難です。

ぽか> 表面は二者間の論議の形態をとっていても,その論議を見ている第三者の眼があり,
ぽか> 議論に加わってくることができる,
ぽか> 加わってこなくとも,陰に客観性を求めるジャッヂの機能を持っているような場です。
ぽか> ですから論議内容に応じては,科学的に誤謬がないかの点検も必要となってきます。

 議論内容が事実と背反するか否かという問題は具体的なソースを元に検証されるべき問題です。したがって第三者の視点云々という問題とは似て非なるものです(それにしても、まだ科学の話をされるのですか...)。
 第三者がジャッジとして裁定する際も、そのジャッジが果たして公正か否かという問題は常に付き纏います(日韓共催ワールドカップでも審判の裁定を巡って論議が勃興したことは記憶に新しいでしょう)。それは人間がどのような偏向もあり得ない「客観」という視点を持ち得ない以上当然のことです。つまり、誰も「主観」からしか語れない。成し得るのはせいぜい、その「主観」を自己相対化することです。

ぽか> BBSのような公の場でなされる論理だった論議の末,一方の認識が他方の認識によって,
ぽか> 修正されていくことも,全て「暴力」なのでしょうか。

 そのように私は捉えています。

 ぽかさんはすっかりお忘れのようですが、私が「論理的叙述が暴力である」と記したのはぽかさんの「激しい言葉遣いこそが暴力なのだ」という語句への異論の文脈においてです。わざわざ空爆を比喩に用いて私を批判されたことに対しての返答として、寛容さを振りかざす身振りの中にも、その寛容さを盾に自らの論理を飲み込ませる所作が含まれている限りにおいて「暴力」的であることには変わりはない、と。
 その文脈を離れて(というかその文脈からわざわざ逸脱して)私の「論理的叙述が暴力である」という言葉を修辞上適切であるか否かという話をされたいのでしょうか。だとしたら同じ事実をめぐる記述自体をどう記すかという次元に話のレヴェルは下がります。山は緑色か青色か、というように。

ぽか> 確かに正論が暴力に映る時もあります。
ぽか> それは相手のおかれている状況,事情,段階を考慮しない
ぽか> 強引,性急な変革への要求が背後にある場合であったり
ぽか> 過剰に攻撃的な論じ方をして,相手を追い込んでいる場合だと思います。

 その通りです。しゃあさんの表現を借りれば、ぽかさんが私に対して「表現の真意を汲むことなく、言葉尻をとらえて批判」したこと、「そのこだわりに過度に拘泥し、上山さんの文章表現に対してまで執拗に注文をつけ続け」たことがそうであるように。
 寛容なスタンスを採っていると恐らくは自覚されているぽかさんこそが第三者の主観から暴力的に映ったというこのパラドックスについて、今一度深く考えてみて下さい。乱世云々というロマンティシズムに基づく自己正当化(小泉純一郎や石原慎太郎や、かつてここに来たyamanoutiyoudou氏が好みそうなレトリックですが)を行う暇があるのだとしたら。

No.2 どこまでが暴力なのか
ぽか 6/1(日) 17:26:48 No.1646-20030601145652
上山さん,早速のレスありがとうございます。


上山> 議論内容が事実と背反するか否かという問題は具体的なソースを元に検証されるべき問題です。
上山> したがって第三者の視点云々という問題とは似て非なるものです。


仮に公正な第三者の視点を意識すれば,
議論内容が事実と背反するか否かという問題は,まず第一に点検なされるべき問題です。
したがって,第三者の視点云々という問題に内包される問題だと考えます。


上山> (それにしても、まだ科学の話をされるのですか...)。


不愉快な思いをさせ,すいません。ここでは,触れないでおきましょう。


上山>  第三者がジャッジとして裁定する際も、そのジャッジが果たして公正か否かという問題は常に付き纏います。


そうだと思います。現に誤審やら冤罪やらありますから。


上山> …誰も「主観」からしか語れない。成し得るのはせいぜい、その「主観」を自己相対化することです。


しかしながら,閉ざされた二人の間での対話よりも,
不特定多数の中での相対化を配慮する方が,
より客観性を帯びた観点を志向することができるものと考えます。


上山> ぽか> BBSのような公の場でなされる論理だった論議の末,一方の認識が他方の認識によって,
上山> ぽか> 修正されていくことも,全て「暴力」なのでしょうか。
上山>  そのように私は捉えています。


そうすると,上山さんにとって,他者との議論とは
暴力で相手を従えるか,あるいは,自分が相手の暴力に屈するかの
結果が伴ってくるものなのでしょうか。


上山> ぽかさんはすっかりお忘れのようですが、私が「論理的叙述が暴力である」と記したのはぽかさんの
上山> 「激しい言葉遣いこそが暴力なのだ」という語句への異論の文脈においてです。
上山> わざわざ空爆を比喩に用いて私を批判されたことに対しての返答として、寛容さを振りかざす身振りの中にも、
上山> その寛容さを盾に自らの論理を飲み込ませる所作が含まれている限りにおいて
上山>「暴力」的であることには変わりはない、と。


いや,忘れていませんが,どこで,そうご判断なさったのでしょう。

空爆の話は,
上山さんが,上山さんと中島氏の相違点を明示してほしいとおっしゃったのに対し,
私が感じていた印象を述べる中で,出したものです。

上山さんは,その明示して欲しいとのカキコの中で,
あの隠喩が「論理的叙述が暴力である」と考慮した表現なのだとおっしゃってました。

私は,それまで,そうした表現とは考えてませんでしたので,
素直にそれまで感じたその言葉自身から受ける「激しい言葉」としての印象を述べました。

それが,悪かったのでしょう。
明言したのに比喩の裏にある真意を汲んでないと非難されて,ここに至ります。

最初から真意を書いてくれてれば,とも思いました。

しかし,その真意なるものを聞けたのは,
私にとっては,対話の中での大きな収穫だったと思います。
なるほど,そうした視点に立てば,自分の言動の中にも反省すべき点は多々あります。
BBSでの論議だけでなく,普段の生徒との対話においても。

ただ,上山さんの「論理的叙述が暴力である」という命題が,あの文脈の中でだけなのか,
どの範囲までを覆う命題として考えているのか,という疑問は残ったままなのです。

Web上での議論についてはあの隠喩は有効とお考えなのですよね。


上山> その文脈を離れて(というかその文脈からわざわざ逸脱して)
上山> 私の「論理的叙述が暴力である」という言葉を修辞上適切であるか否かという話をされたいのでしょうか。


すいません。修辞上適切か否か云々という話がよく分かりません。

私としては,一体,適用範囲がどの程度のものなのか,
どのような条件がついた時にそうなのかに関心があります。


上山> ぽか> 確かに正論が暴力に映る時もあります。
上山> ぽか> それは相手のおかれている状況,事情,段階を考慮しない
上山> ぽか> 強引,性急な変革への要求が背後にある場合であったり
上山> ぽか> 過剰に攻撃的な論じ方をして,相手を追い込んでいる場合だと思います。

上山>  その通りです。


ということは,私が連ねたような条件下において,「論理的叙述が暴力である」のでしょうか。
それとも,上述の場合は,その一部ということでしょうか。


上山> しゃあさんの表現を借りれば、ぽかさんが私に対して「表現の真意を汲むことなく、言葉尻をとらえて批判」したこと、
上山>「そのこだわりに過度に拘泥し、上山さんの文章表現に対してまで執拗に注文をつけ続け」たことがそうであるように。


結果的には,そういうことになるのでしょう。
上山さんの真意を知らずとはいえ,傷つけてしまいまして,申し訳ありませんでした。

しかしながら,上山さんの表現に拘らずに読み流し,執拗に問いかけなければ,
私には決して,上山さんの真意は分からなかったことでしょう。

そして,未だ疑問です。
上山さんにとって対話,議論は,暴力対暴力の勝負でしかないのかと。


上山> …ぽかさんこそが第三者の主観から暴力的に映ったというこのパラドックスについて、今一度深く考えてみて下さい。


上山さんには,申し訳なかったと思いますが,
その時点では,暴力の自覚がなかったということでパラドックスというほどのものじゃないと思いますよ。

ここで,また上山さんの考えが分からなくなるのですけど,
暴力的に見える見えないに関係なく「論理的叙述が暴力である」なんですよね。
「暴力的」の「暴力」は,どういう意味でを用いてらっしゃるんでしょうか。
全く第三者にも暴力的に見えない論理の方が,屈せざるを得ない暴力という点では
やっかいなような気がしますが。


上山> …自己正当化(…)を行う暇があるのだとしたら。


これって,ひょっとすると,余計なお世話ってやつじゃないんですか。


では。

No.3 公正な第三者とは言い難いですが…
ウユウ 6/4(水) 06:22:13 No.1646-20030604061922
お久しぶりです。

ポイントはハッキリしているように思えますので、一度だけ介入させてもらいます。

「力の行使」は、行使する側と、行使される側によって、感じ方や受け取り方は違うんじゃないでしょうか。 

たとえ、論理や、啓蒙、教育的指導 といった 理性的な「力の行使」であっても。

行使する側は 暴力と呼びたくない、呼ばれたくない(思いたくない)だろうし、
行使される側は 暴力と感じてしまう場合が多い でしょう。

ぽか> その力を「暴力」とするか,否かは,
ぽか> 使い方次第,使う目的次第だと思っています。

それは ただ 使う側の論理です。

ぽか> どこまでが暴力なのか

これも使う側です。

使われる側にとっては 不愉快極まりない、迷惑極まりない場合もありえるわけですから。

「力の行使」は、それとはっきり自覚した上で、制限的に、
できれば 相手に与える影響や効果を、それなりに計算した上で、
ゆるやかにおこなった方がいい場合が多いですね。

執拗なのは最悪です。

あくまで理想論かもしれませんが。


僕も最近になってようやく気づいたんですよ。

No.4 感想です
ちびた 6/4(水) 09:35:29 No.1646-20030604093436
 
 こんにちは。


 感想です。


ぽか> しかしながら,閉ざされた二人の間での対話よりも,
ぽか> 不特定多数の中での相対化を配慮する方が,
ぽか> より客観性を帯びた観点を志向することができるものと考えます。

 客観性を志向する姿勢って、すごくいい!
 投稿者が充分に考えた上で、発言し、他人まかせにしないということが前提ですけどね。

 といっても、一人では分からないこともあるし。
 そういう時は、あくまで謙虚に質問するのがベターだな。

上山> 私の「論理的叙述が暴力である」という言葉を修辞上適切であるか否かという話をされたいのでしょうか。
ぽか> すいません。修辞上適切か否か云々という話がよく分かりません。

 ぽかさん、本当に、上山さんの言っている意味が分からないのですか? 唖然。
 一人では分からないこともあるけれど… 、そこまでとは。

 まだ、信じられないなあ。
 ホントですか?


 では。
 

No.5 唖然とさせてごめんなさい
ぽか 6/4(水) 22:52:49 No.1646-20030604221952
ウユウさん,ちびたささん,どうも。

ちびた> 上山> 私の「論理的叙述が暴力である」という言葉を修辞上適切であるか否かという話をされたいのでしょうか。
ちびた> ぽか> すいません。修辞上適切か否か云々という話がよく分かりません。
ちびた>
ちびた>  ぽかさん、本当に、上山さんの言っている意味が分からないのですか? 唖然。
ちびた>  一人では分からないこともあるけれど… 、そこまでとは。

すいません。多分,そこまでなんですよ。

修辞っていうのは,「修飾的な言葉を巧みに用いて表現すること」ですよね。
「論理的叙述が暴力である」→「筋道立てた思考を書き述べた文が暴力である」としか読めません。
それが,言葉を用いた表現として適切か否かって言ったって,
上山さんは,そう言いたいのだから,適切も何もないよなと思うのです。

けど,どうやら,すべての論理的叙述が暴力であるということではなさそうだから,
どこまでの範囲,どんな条件がついた時に,そう断定するのかを質問したのです。

ちびた>  まだ、信じられないなあ。
ちびた>  ホントですか?


恥ずかしいけど,ホントです。

今回の件でもそうでしたが,
上山さんの文章は,よく著者の意思からはずれた読み方をしてしまいますので,
分からない所は尋ねるようにしなくては,思ってます。

でも,今回は最初に聞かなければよかったのかなぁ。と言っても始まらない。  


ウユウさんの言うことは,なんとなく,そんなかなと思い始めていたところです。
例えは良くないかもしれませんが,イジメやセクハラと同じようなもんなんでしょう。

もっと,立場の違った相手に違った論点でなら使える力なのかもな,とも思ったり。


では。

No.6 とりあえず現段階でのまとめとして
上山 6/4(水) 23:58:29 No.1646-20030604231348
 私は、原則としてあらゆる論理的叙述は暴力的要素を内包していると考えます。

 ぽかさんは質問を通して、私に対して暗に「あなたは他人を暴力的に屈服させようと思っているのか」と述べておられるようです。
 私は、それを否定はしません。ですが、全ての場合においてそうという訳ではありません。論理的叙述が暴力であると捉えることは、同時に暴力が高揚し過ぎないように抑制する契機と成り得ます。私が「論理的叙述は暴力だ」と語る時は、これは私自身明確に記していなかったミスもあるのでしょうが、そうした致命的な事態の回避の可能性ももちろん念頭に置いています。
 そうした、自らの言葉が暴力である可能性を秘めているという自覚こそが、暴力が致命的な段階にまで至ることを回避する契機になるとも思っています。

 また、暴力とはぽかさんが解釈しておられるような、自己を無理に一貫させること、持論を何が何でも曲げないことでは必ずしもありません。格闘技などを観れば分かると思いますが、相手の繰り出してくる手を見て、それに合わせてこちらの手を変える。そうした戦略的なプロセスをも同時に含んでいます。これは、ぽかさんの「相互に意見,認識を交換することによって,何らかの変化を得ること」を私なりの表現で言い換えたものと思っていただいて差し支えないかと思います。

 修辞上適切か否か、というのは、そのような「論理的叙述は暴力だ」と語ること自体が正当だと思うのか否かを論じることにさほど意味はないと思うからです。私はそう思うし、ぽかさんは多分そう思わない。しかし私がそう思うからと言ってぽかさんに同様の価値観を抱くことを強要することには意味はありません。逆も同じです。
 「上山さんは,そう言いたいのだから,適切も何もないよなと思うのです」というのはその意味で、まさにその通りです。同じ山を見て青いと思う人間もいれば緑色であると思う人間もいる。どちらにも理があるし、どちらを選んでも(よほど無理な解釈でない限り)大差はないと思います。これまで対立してきたことは単に同じ事実をどう書くかという趣味(これを「個人的価値観の問題」と呼ぶことに、恐らく異論はないと思いますが)の問題に落ちてしまうのではないかと思って、「修辞上の問題」云々と書きました。
 ただ、議論の場というのは私にとって論理的な言説が暴力として機能することがもっとも顕著に現れる場です。だからそのような場において論理的な叙述が暴力である可能性を喚起すること、私がそのように暴力として論理が機能する可能性を想起してみることは有益であると思われるのです。

 私が「論理的叙述が暴力だ」と捉えていることそれ自体に問題があるとぽかさんは思っておられるのでしょうか?
 私としては、この捉え方自体を云々することに意味があるとは思えません。この捉え方は様々な問題を生むでしょう。ですが、それはその時々に個別に解決していけばいいことだと思っています。今問題が生じていない段階でこれから生じるかもしれない問題の芽を見つけ出してわざわざ潰していくよりも、具体的に私の物言いに軋轢が生じた際に解決していけばいいと思っているからです。

 また、議論が三人以上で行われる場合でも、例えば私がAとBという人間に対して論理的叙述を行っていればAとBという人間に「暴力」を行使したことになります。Aがそれを受けて反論を行えば、それを直接受ける私に対して「暴力」を行使していることにもなり、Bにも何らかの働きかけはなされるでしょう。
 三人以上の場でも、人は主観からしか語れないと思います。ただ、多数の意見が出る可能性はもちろんありますから、自己相対化のプロセスが複雑なものと成り得ることには同意します。

 「余計なお世話」についてはお詫びします。ただ、私はあのような大上段に構えたレトリックに単純に違和感を覚えたということだけは申し添えておきます。

No.7 ぽかさんに質問〜!
ちびた 6/5(木) 08:23:55 No.1646-20030605082235
 

 1、ぽかさんにとって、「暴力」とはなんぞや。

 2、ぽかさんは、言葉を用いて、人を屈服させたりしないのですか?


 では。
 

No.8 「暴力」を私はこう考えた
ぽか 6/5(木) 20:51:46 No.1646-20030605191436
ちびた>  1、ぽかさんにとって、「暴力」とはなんぞや。


 そう,要は「暴力」の定義なんですよね。
 上山さんとの議論を始める以前は,あまり深く考えていませんでした。

 暴力=乱暴な力,規範からはみ出る荒っぽい,衝動的な力という理解でいました。

 ですから,言葉の暴力っていうのも激昂,恐喝,威圧,恫喝,皮肉,嫌味,嘲笑といった
 ま,今から思えば,表面的に分かりやすい形のものが,頭にありました。
 そういった理不尽な言動を暴力と考えていたもので,
 対話とか論理的な言説というものは対極にあるものとしてとらえてました。

 上山さんがご自分の板で引用した中島氏の文
>「キレる」人、すぐに暴力に訴える人は「正しい怒り方」を知らないのだ
 の文中の「暴力」は,そうした私の理解にあった衝動的な乱暴な力を指すものだと思います。

 上山さん自身も
>中島義道も私も、相手を殺せとも暴力に訴えよとも一言も言うつもりはない、ということです。 (3/22)
 と,文脈によっては,「暴力」を私の初めの理解に沿う形で使っています。


 しかし,その後,より本質的な形での「暴力」の定義が上山さんから提示されました。
>私は柔らかい物言いであろうと論理的な言葉はそれ自体相手に了承を強いるという意味で、
 「原理的には」「暴力」だと思っています。(3/24)

 ここで上山さんの「暴力」は,「相手に了承を強いる力」として定義されたわけです。

 しかし,こちらの脳はご存知の通り,頑迷にて柔軟性に欠けておりますから,
 まだ論理的な対話こそが,暴力的なぶつかり合いを避け,相手を納得させる道と考えておりました。
 だから「論理的な叙述が暴力だ」という命題の反証として科学の話を持ち出したりもしたのです。

 振り返ってみれば,その時点で何をもって「暴力」とするかをきちんと検討しておくべきでした。

 私は「相手の自由をコントロールする支配的な力」と現時点では「暴力」を考えておりますが,
 その時点では,言葉にできるほど深くは考えていませんでした。


 ですから,今は
上山>  私は、原則としてあらゆる論理的叙述は暴力的要素を内包していると考えます。
 という言葉も分かるつもりです。

 今はその叙述が暴力として機能していなくとも,時と場によっては暴力になることがあるということでしょう。

 考えていく途中で
 暴力であることが分かっていて論理的叙述を行なうことは,確信犯的行為ではないか,
 それは,知らないでやっているより,悪辣ではないか,とも思いましたが,

上山>  論理的叙述が暴力であると捉えることは、
    同時に暴力が高揚し過ぎないように抑制する契機と成り得ます。
    私が「論理的叙述は暴力だ」と語る時は、…
    そうした致命的な事態の回避の可能性ももちろん念頭に置いています。

 ということで,納得です。



ちびた>  2、ぽかさんは、言葉を用いて、人を屈服させたりしないのですか?


 生徒に対しては,あまり論理的に屈服させるということはないかな。
 どっちかといえば,威圧的なあるいは泣き落とし的物言いで押し付ける方が多いですね。



上山>  「余計なお世話」についてはお詫びします。
    ただ、私はあのような大上段に構えたレトリックに単純に違和感を覚えたということだけは申し添えておきます。


 結構,切実に悩んだ末の開き直りなのです。


 では

No.9 回避・否認の陥穽をいかに乗り越えるか
しゃあ 6/16(月) 21:26:04 No.1646-20030616212411



 公共財であるインターネットを、金を出せば(ISPに料金を払えば)自分の好きなように勝手に利用できる消費財だと勘違いしている大ばか者が多すぎる。

 インターネットの普及にともなって、公共意識(民度と言いかえてもよいが)の低い利用者も急増しており、その結果として、利用者のモラルやマナーの水準が低下するのは、必然的帰結だ。



 言語表現において、それが暴力/暴力的であるかないかは、実は、さして重要ではない。

 原則論を言えば、暴力/暴力的であろうとなかろうと、自身が必要と判断すれば、いかなる言表・言説を行使しようが、それは個人の自由であり、自己決定・自己責任の範疇に属することがらだ。

 ただし、その内容の如何によって、反駁・反撃に遭うこともありうることは、言うまでもない。

 他者とのコミュニケーションに臨むにあたって、その程度の矜恃も気概も覚悟もない輩の、無責任な垂れ流し発言に、耳を傾ける値打ちはない。



 いつも言っていることだが、弱いことは、さして問題ではない。

 問題なのは、自分の弱さを自覚・認識し、直視・受容することができず、回避・否認することだ。

 また、わからないこと・できないことは、一概に非難されるべきことがらではないが、わからない・できないにもかかわらず、分をわきまえない身のほど知らずな言動を慎もうとしないことや、自助努力をしないことは、非難に値する。

 直面化の困難さや回避・否認の陥穽を、いかに乗り越えるか。

 総じて、その道のりは、遠く険しい。



 ぽかさん。

 ぼくは、ICIDHの話などしていません。

 あなたの、そうしたコミュニケーション能力の貧困がもたらす、他者とのコミュニケーション不能ぶりを、ハンディキャップと呼んだのです。

 あなたもまた、直面化できない、回避・否認パターンの人物であると言わざるを得ません。

 (本当に、自分が「愚鈍」であるという自覚・認識があり、直視・受容しているのであれば、自ずと、それに見合った言動・振る舞い、ふさわしい身の処し方がなされるはずです)



上山> つまり、別人でありながら遺伝子が同一であるというだけで例えば臓器移植の材料に使われた時、その人物は果たして「人権」を持っていると見なされるのか?

 そうした、クローン人間の実現にともなって、当然起きて来るであろう倫理的異議・批判を回避するために、無脳クローンの製造を計画・研究している悪質な連中がいます。

 これが、現実の科学の実体・実態でしょう。

上山> ↓t.A.T.u.のシングル曲をカヴァーしているそうです
上山>  http://www.universal-music.co.jp/juemilia/

 このジュエミリアとやらは、陳腐でつまらないですね。

 身もふたもない、やっつけ仕事の急造フォロワー(と言うより、出来の悪い粗悪コピー)。

 ひ弱で生ぬるく、t.A.T.u.のような、「世界は自分たちを中心に回っている」的したたかさ・ふてぶてしさ、突き抜けた自己中心性パワーのかけらもない。(かと言って、他に何かしらの魅力があるわけでもなく)




No.10 愚鈍なる地平から
ぽか 6/16(月) 22:14:26 No.1646-20030616194803
しゃあさん,どうも。

大ばか者とは,俺のことなんだろうか?


しゃあ>  ぽかさん。
しゃあ>  ぼくは、ICIDHの話などしていません。
しゃあ>  あなたの、そうしたコミュニケーション能力の貧困がもたらす、他者とのコミュニケーション不能ぶりを、ハンディキャップと呼んだのです。

 しゃあさんの使ったハンディキャップという単語の中に能力低下と社会的不利の両者が読み取れたから,
 分けてお答えしたまでです。

しゃあ>  あなたもまた、直面化できない、回避・否認パターンの人物であると言わざるを得ません。
しゃあ>
しゃあ>  (本当に、自分が「愚鈍」であるという自覚・認識があり、直視・受容しているのであれば、
     自ずと、それに見合った言動・振る舞い、ふさわしい身の処し方がなされるはずです)

 私は,自分が愚鈍,愚かしく鈍いということは,認めております。
 厳密に言えば程度の問題ですので,相対的にどういう点で誰より愚鈍かということになりますが,
 総じて,しゃあさんやSLANの方々や上山さんより愚鈍であろうとは,自覚しております。

 しかし,それに見合った言動・振る舞い,ふさわしい身の処し方がなされるはずとは,
 何を求めておいでなのでしょうか。

 愚鈍なら愚鈍らしく,身のほどをわきまえて,もっと謙虚に,謙って虚しく振舞えということでしょうか。

 自分の読み取りの能力に疑問があるから,
 相手に,私はこう受けとめたが,それでいいのかと問い直すことは,
 自分の能力不足を補うために,意識して使ってきた方法です。

 相手の問いかけに,自分なりの答えを提示した上で,
 そこに生じた相手との落差が,何故,生じたのか突き詰めていくのも
 私なりの相手へのアプローチ手段です。

 この自分の愚鈍さを補う手段が,自分の愚鈍さを回避,否認していることの証しとなるのでしょうか。



しゃあ>  これが、現実の科学の実体・実態でしょう。

 私が,論理が「暴力」であるとの説の反証として科学を持ち出したのは,
 科学が真理を探求していく際に用いられる道具としての論理を引き合いにだすためです。
 仮説とデータを突き合わせて,論理的に矛盾,見落としがないか検討されていく。
 その際の論理も「暴力」なのかを問うていくつもりでした。

 不快な思いをさせてもと思い,触れないでは来ましたが,
 その点,お二人のバイオエシックスを例にとった話題とは噛み合わないのです。

 バイオエシックスだけでなく,
 火薬の発明からABC兵器に至る軍事力,環境破壊など,
 その応用技術分野では,人間にとっても,自然界にとっても
 まさに暴力として科学が機能してきた面は多大なものがあります。
 それは,私も認めております。

 しかし,それは科学の真理探究の中で使われる論理が暴力であるからということではないでしょう。


 では。

No.11 なぜか他人とは思えない…
ウユウ 6/18(水) 07:00:34 No.1646-20030618065222
こんにちは。


ぽか> 大ばか者とは,俺のことなんだろうか?

違うと思いますよ。文脈からして。

ぽか> しゃあさんの使ったハンディキャップという単語の中に能力低下と社会的不利の両者が読み取れたから,
ぽか> 分けてお答えしたまでです。

誤読だったわけですね。

ぽか> 総じて,しゃあさんやSLANの方々や上山さんより愚鈍であろうとは,自覚しております。

根拠ないですよ。それ。

ただ、僕は 相手が書いた文章の真意を汲もうと、何回も読み返してます。
ぽかさんの文章も。
投稿に際しては、何度も推敲しています。

ぽか> 愚鈍なら愚鈍らしく,身のほどをわきまえて,もっと謙虚に,謙って虚しく振舞えということでしょうか。

愚鈍だと自覚している というのが本心なら、相手の文章を何度も読み返してみてください。熟慮してください。投稿前に推敲してください。

ぽか> 相手の問いかけに,自分なりの答えを提示した上で,

「自分なりの答え」の形成方法が、かなり浅いです。誤読が多すぎて話になりません。

ぽか> そこに生じた相手との落差が,何故,生じたのか突き詰めていくのも私なりの相手へのアプローチ手段です。

現状では、ぽかさんに突き詰められる相手が迷惑かもしれません。

ぽか> この自分の愚鈍さを補う手段が,自分の愚鈍さを回避,否認していることの証しとなるのでしょうか。

その手段はかなりあやしいです。

ぽか> 不快な思いをさせてもと思い,触れないでは来ましたが,
ぽか> その点,お二人のバイオエシックスを例にとった話題とは噛み合わないのです。

そう、別の話題です。

上山さんも 「ちなみに、ここから下は、別の次元の話です。」 と断りを入れている。

ぽか> しかし,それは科学の真理探究の中で使われる論理が暴力であるからということではないでしょう。

なのに、ぽかさんは自説にこだわって、蒸し返している。とても建設的な議論をしようという姿勢とはいえない。


おっしゃるように、ぽかさんにとって、愚鈍さや愚直さは 生きる上での武器だったんだろうとは思います。

でも、人間は 成長しようと思わなくなったり、現状でいいんだ と かたくなに思いこんでしまったら、
ひたすら硬直化していく。 しなやかさを失っていく。 退行していく。 

それこそ、科学的じゃないですよ。

No.12 ご迷惑おかけしています。
ぽか 6/18(水) 19:32:51 No.1646-20030618180537
ウユウさん。どうも,今晩は。

ウユウ> ぽか> 大ばか者とは,俺のことなんだろうか?
ウユウ> 違うと思いますよ。文脈からして。

 いや,書けば書くほど自己中レスでの板汚しの実態が明らかになっていく。
 やはり,私はしゃあさんの言う所の大ばか者に抵触しそうです。


ウユウ> 誤読だったわけですね。

 あの場合は違うと思います。
 しゃあさんの意に沿わぬ答え方をしただけだと思います。


ウユウ> 根拠ないですよ。それ。

 皆さんと議論している本人がそう感じているということです。


ウユウ> 愚鈍だと自覚している というのが本心なら、相手の文章を何度も読み返してみてください。熟慮してください。投稿前に推敲してください。

 そうですね。具体的なご指摘,ありがとうございました。
 心がけてはいるのですが,気持ちが急いたり,足らなかったり,偏りがあったりするようです。
 さらに気をつけて行きたいと思います。


ウユウ> 「自分なりの答え」の形成方法が、かなり浅いです。誤読が多すぎて話になりません。

 そこが,ウユウさんたちから見て,愚鈍と映る所でしょう。

 でも,書き手にしてみれば「誤読」でも,私にしてみれば,私なりの理解,受け止めです。

 同じ単語,同じ文節,同じ文章であっても,
 読み手によって,受け止め方が異なってくるということは,当たり前のことだと思います。

 書き手の言葉が,読み手の中で,書き手が意図した所からずれて
 そのリアクションが書き手に返っていく。

 それって,コミュニケーションの楽しさの一部とも受け取れると思うのですが。


ウユウ> 現状では、ぽかさんに突き詰められる相手が迷惑かもしれません。

 そのようですね。

 日常では,なんか疑問があっても
 反射的に言葉にできぬまま,分かったような顔をして,
 やり過ごしてしまって済んでしまうことも多々あります。

 掲示板でのやりとりでは,
 この鈍い私でも,レスできてしまうので,
 ついつい執拗になってしまうようです。

 ご迷惑おかけしており,申し訳ありません。

 迷惑でしたら,そう言っていただくなり,
 無視していただけば,引き下がりますので。


ウユウ> その手段はかなりあやしいです。

 そうですか。今の所,重宝しています。


ウユウ> そう、別の話題です。

 でも,あの話題から派生した話題でもあるのです。


ウユウ> なのに、ぽかさんは自説にこだわって、蒸し返している。とても建設的な議論をしようという姿勢とはいえない。

 整理しておこうと思ったのです。
 「科学と暴力」という今後の建設的な議論のために。


ウユウ> でも、人間は 成長しようと思わなくなったり、現状でいいんだ と かたくなに思いこんでしまったら、
ウユウ> ひたすら硬直化していく。 しなやかさを失っていく。 退行していく。 

 そうだろうと思います。背伸びしたって届かない所はある。
 だけど,いくらかでも,ましになるために,愚鈍な書き込みも続ける訳です。


ウユウ> それこそ、科学的じゃないですよ。

 って,論理的という意味で使っています?


 では。

No.13 落第です
ちびた 6/20(金) 14:31:48 No.1646-20030620142958
 

 こんにちは。

 上山さんは、「私は、原則としてあらゆる論理的叙述は暴力的要素を内包していると考えます」、「論理的叙述は暴力だ」って書いてます。

 ぽかさん、「論理が「暴力」であるとの説」というのは、どこから来たのでしょうか?

 愚鈍なる地平からでしょうか?



 ところで、「自己中」だという、ぽかさんの自己評価は、奇跡的に当たっています。
 ☆すごいですね☆

ウユウ> ただ、僕は 相手が書いた文章の真意を汲もうと、何回も読み返してます。
  
 ぽかさん、「相手が書いた文章の真意」というのをそっちのけにして、自分の興味あることに固執していますね?
 そういう気分、分からなくもないです。
 でも、ちょっと度をこしてるんですよね〜。

ぽか>  やはり,私はしゃあさんの言う所の大ばか者に抵触しそうです。

 これ、ウユウさんが言っていることへの返答として、若干ずれてます。

ぽか>  皆さんと議論している本人がそう感じているということです。

 ということは、根拠がないわけです。
 返答としては、30点くらいですね。

ぽか>  書き手の言葉が,読み手の中で,書き手が意図した所からずれて
ぽか>  そのリアクションが書き手に返っていく。
ぽか>  それって,コミュニケーションの楽しさの一部とも受け取れると思うのですが。

 コミュニケーションとは呼べないほど、書き手の意図からずれているんですよ。

ぽか>  でも,あの話題から派生した話題でもあるのです。

 派生しすぎ。
 0点。

ぽか>  整理しておこうと思ったのです。
ぽか>  「科学と暴力」という今後の建設的な議論のために。

 ぽかさん的には、「科学と暴力」という議論に持っていきたい気持ちで言っていることなんでしょうけれど、持っていき方が強引。
 「相手が書いた文章の真意」を尊重していないです。

 今後なんてこないかもしれないというのに。

 他人に甘え過ぎ。
 幼児プレイ?

 

No.14 そこから来ました
ぽか 6/20(金) 19:15:05 No.1646-20030620180137
ちびたさん,どうも,今晩は。 

ちびた>  上山さんは、「私は、原則としてあらゆる論理的叙述は暴力的要素を内包していると考えます」、「論理的叙述は暴力だ」って書いてます。
ちびた>  ぽかさん、「論理が「暴力」であるとの説」というのは、どこから来たのでしょうか?
ちびた>  愚鈍なる地平からでしょうか?

 確かに私の言葉は愚鈍なる地平,私の所から出た言葉でもありますが,
 上山さんと私の議論の中では
 上山さんも「論理的叙述」と「論理」の両方をほぼ同様なニュアンスで用いています。


 上山さんの掲示板の過去ログから引用です。

Re: 論理的な言葉は暴力か 投稿者:上山達郎  投稿日:2003/03/30(日) 19:08:17
 ぽかさん。
 私はこれまで具体的な事例を出して、論理が暴力であることを色々説明してきたはずです。


 私は上山さんとの議論から
 上山さんは論理的叙述,論理的なことばの背後にある
 論理そのものの一方から他方へ押し付けを暴力
 と指摘していると受け止めてきました。

 ちびたさんは,違う受け止め方をなさったのですね。
 よければ,どう受け止めたのか,お聞かせください。


ちびた> ぽか>  やはり,私はしゃあさんの言う所の大ばか者に抵触しそうです。
ちびた>
ちびた>  これ、ウユウさんが言っていることへの返答として、若干ずれてます。

 頭に「全体の文脈からすればウユウさんの言う通りでしょうが,」と入れるべきでしたか。


ちびた> ぽか>  皆さんと議論している本人がそう感じているということです。
ちびた>  ということは、根拠がないわけです。
ちびた>  返答としては、30点くらいですね。

 客観的根拠を示すのは無理なことですので,
 「自覚→本人の感覚→主観」ということですよ,と言いたかったのですが。
 読み取れませんでしたか。 失礼しました。


ちびた> ぽか>  でも,あの話題から派生した話題でもあるのです。
ちびた>
ちびた>  派生しすぎ。
ちびた>  0点。

 そうですか。度々出てくる話題なので,そろそろと思いましたが,
 私の方からは,引っ込めておきましょう。


ちびた>  他人に甘え過ぎ。

 私に対して質問を繰り返しておきながら,
 その回答へのレスを他人任せにしてる人が
 いい気なものだと思います。


ちびた>  幼児プレイ?

 ちびたさんは,先生ゴッコですか。
 さすが,ご賢明でいらっしゃる。
 
 採点,ご苦労様です。  

 
 では。

No.15 レッツ プレイ!
ちびた 6/22(日) 18:50:20 No.1646-20030622184809
 

 いやあ。ヘッドトリップ買わなくても、トリップしちゃうね、ぽかさんの珍回答には。


 厳密に言えば、「論理そのもの」が、押しつけたりするはずないじゃないですかあ。
 だって、論理って、思考の形式や法則でしょ。
 どういう文脈で、「論理」という言葉を使っているのか、考えてみましょう☆☆☆



 レッツ、ゴッコあそび!

 「さあ、丼だ。
 そんなに頑なになるな。
 疲れるだけだぞ」

 

No.16 いただきます
ぽか 6/22(日) 19:32:07 No.1646-20030622192946
ちびたのだんな

ちびた>  厳密に言えば、「論理そのもの」が、押しつけたりするはずないじゃないですかあ。

「論理そのもの」が,押し付けるって,言いましたか?

No.17 君も、透明犬ミケーレを連れて歩かないか?
しゃあ 6/29(日) 07:21:12 No.1646-20030629071817



 透明犬ミケーレを連れて入場する、闘龍門ジャパンのミラノコレクションA.T.は、よいなー。

 闘龍門ジャパンの会場物販では、透明犬ミケーレ・セットが売られているらしい。

 君も、透明犬ミケーレを連れて歩かないか?



 あらためて言うまでもないことであるが、ボーダーや困ったちゃん(にかぎらないが)の戯れ言・戯れ事に、いちいちつきあう必要はない。

 かまってもらえないときは、相手に自分勝手な不平不満を抱くのではなく(果ては感情の昂りにまかせて、不平不満を実際に相手にぶつけるなどは、もってのほかだ)、自分自身を、ひたすら内省・省察することだ。

 「つべこべ、つべこべと。なぜ、ごめんなさいと言えんのだ!」(ウォン・リー/『機動戦士Zガンダム』より)



 OECDのPISA(生徒の学習到達度調査)が、1999年に新しい学力観として提唱したリテラシー・アプローチは、日本の教育現場において、どのように活かされていくのだろうか。

 日本の実情を考えると、その導入・実践に困難を伴うことは、想像に難くない。

 しかし、国民の知的成熟度・民度を向上させていくためには、リテラシー・アプローチに基づいた教育が必要不可欠なのもまた、言を俟たないだろう。

 これまでの教育のあり方を抜本的に見直し、かつてないドラスティックな教育改革・変革の実現と新しい教育システムの構築に向けて、取り組まなければならない課題は多い。

 広範な社会的合意の形成。新しい教育スタイル/教育プログラムに対応できる教師の育成・養成。加えて、人的リソースの再開発・再利用としての、現役教師の再教育・再訓練。

 ―――などなど。

 豊かな教育環境の整備に、何よりも必要なのは、教育予算や教育施設ではなく、優秀な人材(今の日本にいるのか?)とソフトウェアなのだ。

 http://www.pisa.oecd.org/knowledge/home/pisa.htm
 http://www.oecdtokyo.org/theme/education/2001/20011204student.html



 版元の光琳社出版が倒産し、絶版になっている、荒木経惟が1998年に発表した写真集『台北』を、廉価で入手した。

 いつものことながら、こういう写真を撮らせると、荒木はうまいなあ。



 エメリヤーエンコ・ヒョードルとミルコ・クロコップ、強し。

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/live/200306/08/index.html
 http://www.nikkansports.com/ns/battle/2003/pr_030608.html



 成瀬昌由、魔界倶楽部入りか。

 「これは何ですか。聞いてないですよ。こんなのされても困る」。

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/live/200306/13/a04.html



 t.A.T.u.は、期待を裏切らないねー。

 http://www.asahi.com/culture/update/0627/011.html



 『機動戦士ガンダムSEED』のストーリーを担当しているスタッフは、監督以下おしなべて、政治や戦争というものが、まるでわかっていないようだ。

 子どもだましでリアリティがないこと、はなはだしい。見ている方が、恥ずかしくなるレベルで。



 ぽかさんに関しては、先に指摘したとおりの人物であることが、その後の投稿内容(予期された反応であり、回避・否認パターンの悪しき例・見本)でも明らかなので、あらためて何か補足する必要もないだろう。




No.18 独善のリング
ぽか 6/29(日) 18:46:43 No.1646-20030629183104
しゃあ>  ぽかさんに関しては、先に指摘したとおりの人物であることが、
     その後の投稿内容(予期された反応であり、回避・否認パターンの悪しき例・見本)でも明らかなので、
     あらためて何か補足する必要もないだろう。

誘導尋問めいたことを行い,その意図に沿わぬ回答に対して,
回避,否認パターンと人格攻撃を続けている己の独善性に気付かぬものでしょうか。


では。



 2003年6月 No.1〜18


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