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SLAN's Garden

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『けいおん!』大人気の不思議

しゃあ <メール送信>   2009/7/26 (日)   No.1248618618



 『けいおん!』が、大人気だ。

 放送前から楽しみにしていて、放送中も楽しく見ていたが、ここまで大ブレイクするとは意外だった。

 何がそれほどまでの人気を呼んだのか、不思議だ。



 秋山澪(声:日笠陽子)が歌う、「けいおん!」イメージソング『Heart Goes Boom!!』は、ベースがLIZARDサウンド、シンセサイザーがP-MODELサウンドなのに、ちょっと笑ってしまった。

 はたして、これがわかる人間は、『けいおん!』視聴者の中にどのくらいいるのか。

 (ちなみに、放課後ティータイムのレパートリーの中で、いちばんのお気に入り曲は、『わたしの恋はホッチキス』)



 見覚えのある場所が描かれているのも、楽しみの一つだった。

 登場させる楽器店は、JEUGIAよりも、ワタナベ楽器店の方がよかった。



 つっこみを、いくつか。


 1.

 平沢唯は、ギブソン・レスポールのデザインを気に入っただけなのだから、25万円もするギブソンのオリジナル・モデルを買う必要はない。

 5万円も出せば、初級者には十分なクオリティのコピー・モデルが買える。

 四本淑三は、「中でも大きな不満は、平沢唯の楽器がGibsonのLes Paulだったことだ。平沢進にひっかけているなら、そこはTalboにすべきだろう」と書いているが、それを言うのなら、フェルナンデス V-7にした方が、さらによいだろう。

 デザインも、トーカイ・タルボのように無機質ではなく、かわいいし。


 2.

 ギター・アンプからギター・ケーブルのプラグを抜いても、耳障りなノイズは出ない。

 ノイズが出るのは、ギターからプラグを抜いた場合。


 3.

 部室に置かれた、唯や澪、梓が使っている小型アンプでは、出力が小さすぎて、ドラムスを入れての練習は無理。


 4.

 学園祭ライブ・シーンで、PAが描かれていない。

 PAなしで、あの規模のライブ演奏は不可能。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』の学園祭ライブ・シーンでも同様だったので、京都アニメーション内外の制作スタッフの中に、音楽機材にくわしい人間が一人もいないのだろう。

 (ちなみに、『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』の学園祭ライブ・シーンでは、きちんとPAが描かれていた)


 5.

 唯のレスポールのピックアップ・セレクターが、いつもセンターのままなのも、どうかと思う。







『青い花』と子どもへの性的虐待

しゃあ <メール送信>   2009/7/9 (木)   No.1247149043



 自他ともに認める百合(GL)大好き人なので、『青い花』も、マンガ、アニメの両方を楽しんでいる。

 特に見どころなのは、杉本先輩の素敵さと、あーちゃんのよい子ぶり。

 鎌倉で訪れたことのある場所が登場するのも、懐かしかったり。

 オープニング・テーマ『青い花』(空気公団)も、なかなかの佳曲。(この曲の元ネタは、たぶん、エルトン・ジョンの『Your Song(僕の歌は君の歌)』だろう)

 (ちなみに、ふみちゃん役の声優が、もし桑島法子だったらと想像すると、その演技の圧倒的な存在感と衝撃力に寒気を催したに違いない)



 唯一、不満な点を述べれば、主人公・万城目ふみの従姉・花城千津が、中学生(あるいは、それ以下)のふみに対して行った性行為は、子どもへの性的虐待に相当することを示唆する視点が、作中のどこにも見あたらず、欠落していることだ。

 作者である志村貴子は、千津のふみへの行為が、子どもへの性的虐待以外の何ものでもないという明白な事実を、理解・認識していないのではないかとの危惧や疑念を抱かざるを得ない。

 千津のふみに向けられた欲望は、実行に移された時点で、もはや犯罪である。

 さまざまな属性が非対称な関係にある状況の下で発生する、子どもへの性的虐待は、当事者間での合意の存在云々によって、認容され不問に付されるたぐいの問題ではない。

 個々人の感情に還元され、当事者間で完結しうる、個人的問題と見なしているのであれば、それは、無知で愚かで度し難い、大いなる勘違いだ。






マクドナルド「QUARTER POUNDER」のCM曲

しゃあ <メール送信>   2009/2/9 (月)   No.1234190954



 マクドナルド「QUARTER POUNDER(クォーターパウンダー)」TV-CFのバックで、FRICTIONの『Zone Tripper』が流れていたので、「FRICTIONの曲が、マクドナルドのCM曲になったのかー」と調べてみたら、どうやら違うらしい。

 「The Birthdayがプレイする『マクドナルド クォーターパウンダーCMソング』」だそうだ。

 The Birthdayの公式サイトを見ても、この『マクドナルド クォーターパウンダーCMソング』が、『Zone Tripper』のカバーであるとか、FRICTIONの曲であるとか、作曲者がレックであるなどの記述は、どこにも一切ない。

 恥を知れ。

 それとも、The Birthdayのギタリスト、イマイアキノブ(FRICTIONのアルバム『Zone Tripper』に参加)は、「あの曲のリフは、俺が作った」とでも言うのだろうか。

 (後出しで、FRICTIONプロモーション用の仕込みとか言い訳されたら、やだなー)



 ▼CMギャラリー | 企業情報 | McDonald's Japan
  [Link]

 ▽The Birthday
  [Link]



 ついでに、おまけでパクリ・ネタを、もう一つ。

 『機動戦士ガンダム00[ファーストシーズン]』オープニング・テーマだった、L'Arc〜en〜Cielの『DAYBREAK'S BELL』を、The Smashing Pumpkinsの『Disarm』と聴き比べてみるとよい。

 鐘の音まで、SE的なキーボードで律儀に再現しているところが、ご愛嬌か。






9mm Parabellum Bullet『Wanderland』

しゃあ <メール送信>   2008/10/31 (金)   No.1225464566



 9mm Parabellum Bulletの2ndアルバム『VAMPIRE』(2008年10月15日発売)が、10月14日付オリコン・デイリーアルバム・ランキングにて、初登場1位になったようだ。

 このアルバム(および、2ndシングル)に収録されている『Wanderland』は、歌詞も曲も演奏も、明らかにILL BONEの影響下にある。

 好意的に解釈すれば、この曲名は、インスパイアされたILL BONEの『Numberlessland』へのオマージュ、あるいはサジェスチョンと見なすこともできる。

 そう指摘されたら、9mm Parabellum Bulletのメンバーは、喜ぶのだろうか、嫌がるのだろうか。

 『Wanderland』は、今年春より放送された(一部地域では、現在も放送中)TVアニメーション『RD 潜脳調査室』のオープニング・テーマになっており、はじめて聴いたのは、その第1話視聴時だ。

 一聴して、「この曲、ILL BONEじゃないか」と思い、ずいぶんマイナー&アンダーグラウンドなところからアイデアを拾ってくるものだと、そのときは半ば呆れたものだが‥‥‥。






「うつ病」診断拡大の果てに

しゃあ <メール送信>   2008/6/2 (月)   No.1212416845



 最近、精神医療業界で流行中の「非定型うつ病」「気分障害」「双極性障害II型」などの診断カテゴリーは、主に業界側の都合で便宜上作り出された、うつ病の拡大解釈に他ならない。

 それほどまでに、精神科医は、人格障害の診断や治療への取り組みを忌避したいということだろう。

 木(周辺症状)を見て、森(人格や病の本質)を見ないとは、まさにこのことだ。

 もっとも、診断・治療にあたって、周辺症状のみを問題とし、人格の問題や生い立ち〜生育歴・生育環境、現在の生活内容を問わない、そうした領域にまで踏み込もうとしないのだから、結果的にそうならざるを得ないのは必然である。

 仮に、たとえ現場の治療者にその志向や意思があったとしても、そうした領域に踏み込むには、現在の精神医療が、圧倒的に力量・リソース不足な事実も否めない。

 加えて、現行制度面での不備や制約、限界もある。

 現実問題として、精神医療に、人格障害者を回復・成長させるのに本来必要不可欠な、生活態度や環境、家族をはじめとする対人関係への積極的介入、助言・指導など、望むべくもないし、また、求めるのも酷だろう。

 そして、そうであるかぎりは、これまでもそうであったように、これからも、精神科を訪れる人格障害の患者に対して、精神医療はまったく無効・無能・無力であり、回復・成長させ得ない現実も必然であることは、言をまたない。

 しかも、昨今は特にその傾向が強いが、患者本人が望む、「うつ病」他の診断名を、安易に供給・付与する、都合のよいサービス機関に成り果てている。

 その背景には、「患者のニーズに応える」という耳あたりのよい美名のもと、患者という名の顧客確保を計る企図、経営優先のクリニック運営の実態が見え隠れする。

 治療に関して、おざなりな対応でお茶を濁すことに終始する一方で、それだけにとどまらず、精神医療自体が、患者に対してイネイブラー化し、ある種の共依存関係を形成していると言わざるを得ない。






人格障害者の真の不幸とは何か

しゃあ <メール送信>   2008/5/31 (土)   No.1212245237



 認知が歪み、自己評価と病識が極度に甘いのが、人格障害者に共通する特徴である。

 人格障害者は、自己批評能力が欠落し、現実とかけ離れた、異常に高い誇大な自己評価と、異常に浅い矮小な病識が、回復・成長作業に取り組むに当たって不可欠な、自らの未熟な人格への自覚化/直面化を拒み、自助努力への動機付けを阻んでいる。

 人格障害者自身に問題解決能力は備わっておらず、彼らにそうしたもの(彼ら自身の力による問題解決)を期待しても無駄であり、失望させられるだけである。

 人格障害者は、自分の期待・願望や欲望・欲求に沿う、自分に都合のよい話しか耳に入らないし、聞こうとしない。

 人格障害者の耳には、自分に都合のよい話だけが入ってくる、特殊フィルターが装備されているのである。



 精神科での診断が人格障害であった場合、人格障害者は激しく反発・抵抗し、回避・否認することが多い。

 一方で、その診断内容が、自分が満足できるもの、自分に都合のよいものであった場合は、諸手を挙げて歓迎する。

 自分が満足できる診断、自分に都合のよい診断を求めて、ドクター・ショッピングを繰り返すことも、めずらしいことではない。

 人格障害者にとって、自分が満足できる診断、自分に都合のよい診断こそが、的確な診断と呼べるものであり、それ以外の意に添わない、不満・不都合な診断は、誤診でしかない。

 人格障害者が求めているのは、的を射た正確な診断や真実ではなく、自分の期待・願望や欲望・欲求に則し、また見合った、それらを満たす診断や恣意的な情報(ひいては、環境・状況、方便・地位・待遇、耳あたりのよい言葉など)にすぎないのだ。

 また、都合の悪い話は、矮小化して重要視せず、無視・隠蔽を決め込む一方で、都合のよい話は、錯誤(誤解)・歪曲(曲解)も交え、ことさらに拡大化して重要視し、しがみつき、吹聴する。



 精神科医が下す診断、そして書かれた診断書には、事実と異なる場合があることが、多々ある。

 精神医療の実態を知らない人間なら、担当医師によって、あっけなく、ころころ変わる診断名・診断内容にとまどい、驚くかもしれない。

 なお、「うつ病」と言われたら、そして、「うつ病」と言われているあいだは、たいていの場合それは、何も言われていない(何も診断されていない)に等しい。



 近年の精神医療業界のトレンド=はやりの一つに、軽度発達障害診断がある。

 そうした中で、自ら検査や診断を希望し、軽度発達障害の診断書を手に入れて、有頂天になり、浮かれる人格障害者が増えている。

 なぜなら、精神障害より、先天的・生物学的要因による障害である発達障害の方が、「世間」に受け入れられやすく、発達障害診断があれば、自分の問題や欠点を全部、障害に責任転嫁して、自分は悪くないことにできる(と、彼らは思っている)からだ。

 合わせて、周囲の人間にも、発達障害を口実にさまざまな要求がしやすくなるなど、人格障害者得意の、弱者・被害者、責任転嫁、特別扱い要求メソッドの行使や、自己正当化/合理化に当たって、実に有効・有利な材料となることも、しかり。

 なお、ごく少数の専門医をのぞいて、精神科医の多くは、発達障害に関して門外漢であり、素人同然である。(成人の発達障害に関しては、特に)

 つまり、そうした、専門医ではない精神科医の発達障害診断は、確定診断と呼ぶにはほど遠く、信頼に値しない。



 精神科で、なんらかの診断書を手に入れた人格障害者は、精神障害者・発達障害者にのみ許された特権と恩恵を、当然のこととして要求・享受し、健常者としての責任や義務は、障害を理由に拒絶し、免除を要求して、もちろん果たさない。

 にもかかわらず、人格障害者は、その一方で、人格障害者として果たすべき責任や義務(さまざまな自助努力や、制限・制約)は忌避し、健常者としての自由や権利も手放そうとはせず、ぬけぬけと当然のごとく要求する。

 こうした、実に身勝手で虫のよい、強欲さと狡猾さを遺憾なく発揮するのが、人格障害者の人格障害者たる所以である。



 人格障害者の真の不幸は、彼らが求めてやまない(彼らがのぞむ形での)理解者や共感者、受容者、あるいは援助が得られないことではない。

 人格障害者を甘やかし、回復・成長を阻害するだけの、そうした共依存者・助長者、的はずれな誤った援助は得られない方が、彼らにとっては、むしろ幸運である。

 共依存者・助長者、的はずれな誤った援助の存在は、人格障害者に、さらなる病の悪化や堕落しかもたらさないからである。



 では、人格障害者の真の不幸とは何か。

 本来なら、人格障害者は、しかるべき入所更生保護施設に長期入所して、その中で、(ままごとレベルのカウンセリングではない、本格的な)精神療法と(周辺症状を抑える、補助的な)薬物療法、(トータルケアとしての)修正・矯正教育を受け、自助努力とともに、回復・成長作業に努めるべき人間である。

 にもかかわらず、そうした受け皿となる施設=治療〜回復・成長環境がないこと、そうした環境を整備し、人格障害者の治療〜回復・成長に本気で取り組む気が、医療側にも行政側にもないことこそが、彼らの真の不幸なのである。

 (神戸連続児童殺傷事件の少年Aは、少年院収容中、破格とも言える手厚い治療を受けているが、あのような事件を起こさないと、そうした治療を受けられないとは、ずいぶん皮肉な話である)






LUST FOR LIFE

woo <メール送信>   2008/3/31 (月)   No.1206908456



「悪い知らせがある。私が生きてるって事。」

という訳で、皆様おひさしぶりです。wooです。
少し暇が出来たのでご機嫌伺いに来ました。
皆、今何してる?元気にしてれば良いのですが。
TF-Rと連絡が取りたい。彼女と逢いたいんだけど状況を教えて下さい。
良ければメールに連絡下さい。

先日、自分の書いた仕事のメモを見直して驚愕しました。
「返却」という文字の回りに生・生・生・生・生・生・生・生・・・
という風におびただしい生の羅列が書かれてました。

ただ単に「生地」の「生」という字を清書してただけなんですが。
(親指の神経が切れてるから、字を書くという事に苦労するんです。)

自分の生への渇望を見ました。





動画共有サイト『Stage6』が、クラッキングされた

しゃあ <メール送信>   2008/2/11 (月)   No.1202741923



 動画共有サイト『Stage6』が、2008年2月10日午前0時すぎ(JST)、クラッカーによってクラッキングされた。

 数時間後、運営側がサイトを一時閉鎖、機能停止へ。

 サイト自体は、2月10日午後8時台に復旧したが、まだ動画ファイルのアップロードはできないようだ。

 しかし、このクラッキング事件、いまだに報道各社どころか、ニュース・サイトにすらとりあげられていない。

 『Stage6』が、日本ではいかにマイナーな存在かが、はからずも露呈した格好だ。

 クラッキングされたのが、たとえば『ニコニコ動画』であれば、TVニュースでとりあげられていただろう。






亀田ファミリーは、典型的な人格障害者家族

しゃあ <メール送信>   2007/10/16 (火)   No.1192546572



 亀田ファミリーは、人格障害者の父親を持った典型的な機能不全家族であり、その結果、悲惨な負の世代間連鎖(子どもの人格障害者化)によって、必然的に誕生・成立した人格障害者家族以外の何ものでもない。

 そして、人格障害者家族が、彼らのように、独自のエキセントリック(奇矯)な信念や価値観、行動原理のもとに、強い結束力を持った独善的ミニ・カルト集団と化すのも、さしてめずらしいことではなく、よくある事例だ。

 彼らのような、人格が未成熟で、モラルやマナーの欠落した人格障害者は、反省や自己批判、改心・改悛などしないし、自分に問題があるとも考えない。

 いや、考えられないと言った方が、より正確だろう。

 そもそも、認知が歪み、まともな倫理規範や、思考・判断能力を持ち合わせていないのだから。



 自己正当化/合理化や他責・他罰は、人格障害者の基本的なビヘイヴィアだ。

 他者・外部に対する理解力・想像力の貧困や、共感性の欠如(彼らにとって、他者・外部は、無価値か利用対象でしかない)。

 精神年齢が低く、自分のことしか眼中にない幼児的自己中心性や、稚拙で過剰な自己陶酔/自己顕示欲。

 ―――などもまた、しかり。

 威嚇・恫喝などの示威行為の本質は、単なる虚勢・強がりであり、内面の精神的幼稚さ・脆弱さの裏返しにすぎない。

 批判報道やJBCによる処分に対しても、不平・不満や、被害者意識、追いつめられた自分のつらさ・苦しさしか感じていないだろう。

 リングに復帰しても、また同様の言動/行為を繰り返すだけだ。

 いまだに、内藤選手&陣営への真摯な謝罪の言葉がなく、そうした姿勢・態度がまったく見られないことが、その事実を端的に物語っている。



 人格障害者的ビヘイヴィアがあからさまな彼らの存在を容認し、あまつさえ肯定や賞賛することによる、社会全般への悪影響も看過できない。

 少なくとも、父親は、ボクシング界から永久追放すべきだ。

 三兄弟に関しては、もしも、まだボクシングを続けたいのであれば、新たに優秀な指導者の下で、出直すしかないだろう。

 歪んだ人格の修正・矯正自体は困難だが、ボクサーとしては、更正の余地が多少はあるかもしれない。

 もっとも、いちばん望ましいのは、亀田ファミリー全員を、ボクシングの世界からいったん切り離し、父親と子どもたちを実生活においても隔離した上で、各人に、自らの人格障害に対する回復・成長作業に真摯に取り組ませ、専念させることだ。

 まずは、父親によるマインド・コントロールを解くことが、課題になるだろう。

 彼らが、共依存家族内のかばい合いをやめ、その口から、父親や家族のあり方への、きびしく非妥協な批判の言葉が出たときが、その第一歩だ。

 だが、現実には、病識のない人間たちに、そうした自助努力は望むべくもなく、無論これは、実現不可能で、非現実的な理想論/机上の空論にすぎない。



 礼節や対戦相手への敬意を欠いた、亀田ファミリーの度が過ぎ目に余る、傍若無人で非常識な言動を見過ごし、容認・黙認し、注意や批判をしない人間たち。

 その歪み病んだ親子関係に気づくことなく、注目・問題視しない人間たち。

 そればかりか、(父子鷹だの、家族の絆・家族愛云々と)そうした家族のあり方を美化し、賞賛・もてはやし、ちやほやする人間たち。

 ―――も、これを機に、自分たちの見識のなさを猛省し、考えをあらためなければならない。






CPTSD/人格障害に言及せよ

しゃあ <メール送信>   2007/8/26 (日)   No.1188139880



 その内容がお粗末であろうことは、見るまでもなくおおよそ見当がつくので、あまり乗り気はしなかったが、8月25日(土)に放送された『ETVワイド ともに生きる』「青少年の自殺を考えよう」(NHK教育テレビ)を見てみた。

 今回の番組にかぎらず、この種の番組の大半(すべてと言ってよいかもしれない)に通底することではあるが、はれものに触るかのごとき、患者・家族など当事者への過剰なまでの遠慮と媚びをはじめとして、その内容の予想どおりのあまりのでたらめさ・とんちんかんさ・的はずれさ、そして、無内容さ・くだらなさに、あらためて嘆息し、あきれかえった。

 通常のうつ病者と人格障害者を混同するな。

 CPTSD/人格障害に言及せよ。

 避けて通ってはならない、これらの問題を、批判的反響やバッシングが怖くて避けるというのなら、最初から、このような番組を企画・制作するな。

 人格の未成熟さ、認知や思考・行動パターンの歪みなど、人格障害者の抱える問題の本質に目を向けない無見識、それらへの無知・無理解・無認識(不足というレベルではない)、彼らの増長や問題行動への容認や助長・加担など、その内容の低質さ・悪質さ・愚劣さは、もはや犯罪と呼んでもよい。

 コメンテーターとして、番組に出演していた精神科医たちも、同罪だ。

 彼らは、断じて「専門家」ではなく、「専門家」を名乗る資格は、かけらもない。

 それどころか、何もわかっていない、単なるど素人にすぎない。

 今後も、こうした番組を作り続けるつもりなら、NHKの担当プロデューサーは、コメンテーターやブレーンの人選を、抜本的に見直せ。



 ▽NHKオンライン | ETVワイド ともに生きる
  [Link]








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