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SLAN's Garden

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ガっとふんばって ドっと豪快に

しゃあ <メール送信>   2005/2/17 (木)   No.1108651189



 最近、『アークエとガッチンポー てんこもり』のオープニング・テーマ「ウラ・ガッチンポーのテーマ」(UNCO☆STAR)を、つい口ずさんでしまう。

 ちなみに、このアニメーションのチーフ・ライターは、浦沢義雄。

 一貫して変わることのない、視聴者を置き去りにして暴走していく、浦沢流の脱力系ナンセンス・ストーリーが堪能できる。

 ▽ アークエとガッチンポー てんこもり
   [Link] [Link]



 『UG☆アルティメットガール』第5話「アキバより愛をこめて」は、リアル秋葉原が登場する、期待どおりの内容だった。

 白絹のコスプレは、言わずとしれた、『月詠 −MOON PHASE−』の葉月。

 毎話のごとく、持ちネタ台詞を繰り出すUFOマン(声:古谷徹)は、悪のりしすぎの感は否めないが、おもしろいのはたしか。


 UFOマン「ぶったな。おやじにも、ぶたれたことないのに。ちぃーっ」

   ――――『UG☆アルティメットガール』第6話「白絹やぶれかぶれ」より




 『舞-HiME』は、なんだか殺伐とした話になってきた。

 もっと、まったりとした、青春学園ドラマにならないものか。

 もちろん、おれは、主人公の鴇羽舞衣ではなく、玖我なつきLoveである。



 実にフランス的なできごと、と言うべきか。

 ▼ 仏高校生10万人「大学入試科目減らさないで」とデモ
   [Link]

 ▼ フランス:高校生ら10万人デモ 教育改革法案に反対
   [Link]







フラストレーション。

ジュエリー <メール送信>   2005/2/3 (木)   No.1107438034



 こんにちは。

 僕は、普段、米は五分づきの玄米を食べているのですが・・・。

 このところ、白米を食べています(人から貰ったので)。

 はじめのうちは、あまり気にしなかったのですが、しばらく白米が続くと、だんだん嫌になってきました。

 味がうすく、なんだか、米を食べた気がしない・・・。

 少々、フラストレーションぎみ。

 では。






人格障害者の再教育施設がない

しゃあ <メール送信>   2005/1/31 (月)   No.1107182473



 人格障害者が回復・成長するためには、彼ら自身の自助努力が、何よりもまず必要であることは言うまでもないが、同時に、彼ら自身の力だけで、それらを達成し、獲得することもまた、きわめて困難であり、ほぼ不可能である。

 そして、いわゆる自助グループがなしうることにも(そのグループが、たとえ、どれほど優秀であっても)、自ずと限界がある。

 彼らが回復・成長するためには、自助努力や自助グループへの参加に加えて、構造化された指導・生活環境下での、長期にわたる再教育が必須である。

 (もちろん、本人に、相応の自助努力の意志と覚悟がなければ、そうした再教育プログラムをまっとうすることはできない)

 だが、彼らにとって、不幸と言わざるを得ないのは、人格障害者に向けて特化した、そうした再教育を行える専門収容施設が、官民を問わず、日本には、いまだ存在しないことである。

 そして、現時点では、そうした施設の整備・運営に向けての社会的・政治的合意も、(インフラストラクチャーだけでなく)セオリーやノウハウ、人材のリソースも、ことごとく何もないに等しい。

 ※そうした施設では、管理・運営にあたって、人格障害者を相手にする上で避けて通れない、行動化などのアクシデントやトラブルにも、迅速かつ適切に対応・対処できる能力を、ソフトウェア・ハードウェアの両面において備えていることが、不可欠であり、最低条件となる。

 ※ごく軽度の人格障害者のみを対象にするのであれば、グループホーム形式で、規律の緩やかな開放型小規模施設でも、代替できる可能性はある。


 まともな自助グループすら、ほとんど育っていない散々たる現状では、そうした施設の誕生は、現実離れした、あまりにも実現不可能な夢物語に過ぎない。

 ※自助グループとは名ばかりの、共依存集団の形成・運営など、いかがわしい共依存性ボランティア活動に勤しむ、まがいものの自称・自助グループばかりが、はびこっている。



 付言すれば、精神医療の現場で行われている治療内容は、主に薬物療法を用いて、周辺症状や行動化を抑えるだけのものであり、そこには、人格障害者にとって真に必要な、回復・成長に向けて、未成熟で歪んだ人格を修正・矯正する、精神療法も再教育プログラムも、ない。

 そのため、見かけ上、周辺症状や行動化が緩和・安定化しただけで、回復・成長からはほど遠い、見せかけの緩解に過ぎない状態にもかかわらず、本人も家族をはじめとする周囲の人間も、緩解したと錯覚・誤解する。

 また、重度の人格障害者の多くは、周辺症状の悪化や行動化の激化に合わせて、精神病院(主に閉鎖病棟)への入退院を繰り返すだけの、出口のないサイクルに陥る。

 彼らは、未成熟で歪んだ人格がもたらす、自覚化・直面化や自己統御の困難さ、欲求不満耐性の低さ、自助努力の欠如など、内なる問題に加えて、外部からの援助〜回復・成長過程をたどるための道案内や環境も、容易に得ることのできない、回復・成長の機会からとことん見放された、絶望的状況に置かれている。

 ※単なる助言や指導だけでは(それが、どれほど必要かつ適切なものであっても)、彼らが、耳を貸すことも理解・受容することもできないことから、なんら効力はない。

 ※彼らとの間に、安定した有効な治療・援助関係を形成・維持することは、きわめて困難である。(特に、通常の生活環境下においては)







病んだ人間は、病んだ社会から生まれる

しゃあ <メール送信>   2005/1/28 (金)   No.1106923557



 現在の日本社会は、人格障害への理解・認知がなく、人格障害者への対応・対処能力やシステムを持たない、機能不全社会である。

 また、不能であるばかりではなく、人格障害者を人格障害者として(つまり、病んだ人間を病んだ人間として)、認識することも、把握することもできない。

 人格障害でしかない人物を、その病や未成熟さ・歪み〜正体に気づきもせずに、誤解・過大評価し、その発言・行動の奇矯さ・過剰さゆえに(あるいは、地位や名誉、財産などがあるというだけで)、支持し、歓迎し、ちやほやし、もてはやし、誉めそやし、祭り上げることさえ、めずらしいことではない。

 (一例:共依存者・助長者に過ぎない、いかがわしい人物を、聖人君子のごとく扱う)



 人は、社会的存在であり、誰一人として、社会のありようと無縁ではいられない。

 それは、社会を構成する成員一人ひとりの感性や価値観に反映し、影響を与えずにはおかない。

 個人の人格形成もまた、社会のありように大きく左右され、その影響から逃れられない。

 社会の病弊や未成熟さ・歪みが、総体として、個々人の精神の病や人格の未成熟さ・歪みの生成に寄与し、亢進・促進させることは不可避である。

 これほどまでに、精神を病み、人格が未成熟で歪んだ人間たちが、続々と生まれる社会、彼らの病や未成熟さ・歪みを認識・把握し、適切な対策を講じるどころか、内部に包含・胚胎したまま、その土壌・温床となり、発現や顕在化を一体となって促進させる社会が、病んでいないはずがない。

 その深刻・重篤な病巣・病態は、悪性であり、根深い。

 現実の社会のありようそのものへの、抜本的・根底的疑問を抱くことや、あり方を問うことなく、不問に付したまま、既成・既存の社会を、無批判に丸ごと是認・容認し、温存・迎合・追従を前提にしたところに(つまり、ドラスティックな社会の改革・変革を目指さないところに)、問題の解決に通じる道などない。



 人格障害者にとって、真に重要・必要であり、目的・目標とすべき課題、唯一、真剣に取り組み、克服すべき課題は、自らの未成熟で歪んだ人格の修正・矯正である。

 問題の本質であり、その根幹を成す、未成熟で歪んだ人格の修正・矯正に手をつけず、先送りや置き去りにしたままでの、周辺症状の改善のみを目的・目標とした治療や、無謬の目的・目標として語られ、一見、疑問を差し挟む余地がないかのごとき名目である、「社会復帰」という美名のもとでの、現在の社会への安易な適応などでは、けっしてない。

 (もちろん、自分の気分・感情に溺れ、期待・願望や欲望・欲求を満たすことではないのは、あらためて言うまでもない)

 社会の成員の義務として、適応することを求められ、ときに強要さえされる、現実の社会そのものが、病んでいる以上、そうした社会への安易な適応は、回復・成長を妨げ、病の固定化・悪化をもたらすものでしかない。



 病んだ人間は、病んだ社会から生まれる。

 人格障害者の増加〜発現や顕在化は、すぐれて社会のありようの問題である。

 それらは、不可分であり、相関関係を形成し、相互補完される。

 (病んだ人間が、病んだ社会を生み出し、病んだ社会が、病んだ人間を生み出す)

 人格障害の問題を問う前提のひとつとして、その背景にある、現在の日本人/日本社会の病弊を見据えることが、不可欠である。

 現実の社会のあり方を批判的姿勢・態度で問い、その改革・変革なくして、人格障害の問題の解決もまた、ない。






『ファンタジックチルドレン』

しゃあ <メール送信>   2005/1/26 (水)   No.1106750273



 なかむらたかし監督作品(原作・監督・キャラクターデザイン・脚本)である『ファンタジックチルドレン』(シリーズ全26話)は、放送半ばを過ぎて、やっと、物語の概略や全体像が見えてきた。

 期待していたとおりの、マンガ『夢の中へ』に通じる、せつない喪失の物語として、なかむらたかしらしい作品になりそうだ。

 ※『夢の中へ』は、なかむらたかしの唯一の(たぶん)マンガ単行本『夢の中へ』(徳間書店/1985年刊)に収録されている。


 ▽ ファンタジックチルドレン
   [Link] [Link]



  ああ… アイリーナ いっしょにいたい…
  …… 君のところへ いきたい…
  夢の… 中へ……

                ――――――なかむらたかし『夢の中へ』より





 佐山聡が、新団体旗揚げを宣言。

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 前田日明が、プロレス界に復帰。

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 柴田勝頼が、新日本プロレスを退団。

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『蒼穹のファフナー』放送終了

しゃあ <メール送信>   2005/1/15 (土)   No.1105799950



 『蒼穹のファフナー』が、最終話(第25話)「蒼穹 〜そら〜」(1時間スペシャル)をもって、放送終了。

 物語終結に向けて、相当な力業で作られており、無理なところもあったが、終わり方も含めて、まずはよし。

 終わってみれば、秀作と呼べる作品に仕上がったのではないか。

 なおさら、当初のシリーズ構成・脚本担当者、山野辺一記による、前半部の脚本のお粗末さが惜しまれる。

 (立て直しを図った後半部のシリーズ構成・脚本担当者は、冲方丁)

 山野辺は、自己批判し、エッジワークスをさっさと畳んで、シナリオ学校にでも入り直せ。(あるいは、いさぎよく筆を折って、ライター斡旋業に徹するもよし。そちらの才能はありそうだ)



 東映動画の『長靴をはいた猫』は、何度見ても傑作だ。

 森康二と大塚康生の仕事を見よ。

 ▼ 長靴をはいた猫(1969)
   [Link] [Link]



 『UG☆アルティメットガール』。

 「こんなものを見ていてよいのか?」と、自問自答する日々であります。

 ▼ UG☆アルティメットガール
   [Link]



 『死ぬ瞬間』の著者、エリザベス・キューブラー・ロス。

 終末期医療(ターミナル・ケア)を専門とする精神科医として、夫や子どもを捨ててまで、患者との共依存的人生を送ってきた、この人物も、年老い、病(脳卒中)で身体の自由を奪われてはじめて、やっと自分という人間と向き合う時間を持ったようだ。

 ▼ 最後のレッスン 〜キューブラー・ロス 死のまぎわの真実〜
   [Link]







LUCKY!

ジュエリー <メール送信>   2004/12/28 (火)   No.1104215052



 こんにちは。

 この前、運転免許証の更新に行ってきました。


 最近、「かなり視力が落ちてきているなぁ」と、実感していたので・・・。

 今回は、ついに、「運転をする時はメガネが必要!」ということになるかも!?

 と、思っていたのですが・・・。


 なんとか、メガネなしで視力検査をパスすることができました。

 LUCKY!


 とはいっても、ずっと、メガネはかけています。見えにくいと恐いので。

 では。






苦しさや生きづらさの正体を見きわめよ

しゃあ <メール送信>   2004/12/26 (日)   No.1104072776



 あなたがもし、生きるのが苦しく、生きづらいのであれば、自分がなぜ、苦しく、生きづらいのかを考え、知らなければならない。

 あなた自身が今、そうだと思っている原因・理由は、まず間違いなく、的はずれであり、誤っている。

 未成熟で、認知・思考の歪んだ人間の判断・選択や、自己分析ほど、あてにならないものはない。

 しかも、そうした人間にかぎって、自分のことがわかっているつもりでおり、自分の判断・選択などを妄信し、執着する愚を冒し続ける。

 また、そもそも自分が、未成熟で、認知・思考の歪んだ人間であるとの自覚・認識が、絶望的・致命的なまでにない(あるいは、足りない)。



 自分の苦しさや生きづらさの原因・理由を、正しく理解・認知するためには、自分の弱さと向き合い、自分の抱える問題に対して、自覚化・直面化しなければならない。

 さらには、自己への不断の批評〜分析・検証作業を行って、相対化/自己対象化し、自らの生き方・あり方を変革しないかぎり、回復・成長はない。

 そうした自助努力〜きびしい回復・成長作業を、具体的に試行・実践する過程を経ることなく、また、自分の弱さに甘え、気分・感情や欲望・欲求に溺れているかぎり、あなたは、あなた自身の期待・願望とは裏腹に、自分の苦しさや生きづらさから逃れることはできない。

 あなたがもし、本当に助かりたいのであれば、ただひたすら、死にものぐるいで自助努力するしかない。

 自助努力を通してしか、回復・成長の獲得はなく、ほかに、あなたが助かるすべはない。

 それ以外の、「回復」を詐称・僭称する、すべての「回復」過程・「回復」状態なる代物は、まったくの誤謬・錯誤でしかなく、回復・成長をもたらすものでも、回復・成長と呼べるようなものでも、さらさらない。



 虚栄心や誇大感・全能感にまみれて、虚勢を張るのを止め、真の(弱くてだめな)自分を受け入れることだ。

 そうしたあなたを、否認し、受容していないのは、誰よりも、あなた自身なのだ。

 誰かに受け入れてもらうことを渇望し、狂奔する前に(拒絶されることを畏怖し、他者との関係を忌避するのは、それらと同根〜裏返しの所作に過ぎない)、まずは、あなた自身の手でやらなければならない・やり遂げなければならないことが、山ほどある。

 関係嗜癖を伴う人格障害者にとって、たとえば、ネット依存に陥ることは、きわめてたやすいことであり、めずらしくもなんともない、ごくありふれた光景だ。

 Wiredにおいて、容易に実現される馴れ合いなどは、彼らが、安易に、他者とコミュニケーションできているような錯覚や充足感を得ること、独善的なコミュニケーション願望を満たすことを可能にし、まさに麻薬以外の何ものでもない。



 自分の未成熟さ、認知・思考や発言・行動の歪みに、無自覚・無関心ではいけない。

 自分の気分・感情や欲望・欲求に溺れてはいけない。

 自省や自己批判を忌避し、自己正当化/合理化や責任転嫁の詭弁を弄してはいけない。

 自分の弱さを、甘えや怠惰さ、現実逃避の口実・言い訳にし、そればかりか、アイデンティティーや武器にしてはいけない。

 誰かに助けてもらおうなどと、他力本願で、虫のよいことを考えてはいけない。

 自己診断が信頼するに値しないことはもとより、治療者から告知された診断名・診断内容を鵜呑みにし、真に受けてはいけない。

 ※診断の多くは、周辺症状に対してなされたものにすぎない。それは、あなたが人格障害ではないことを、保証も証明もしない。

 ※神経症性うつ病や心因反応などと診断されたら、それは暗に、あなたが人格障害であることを示唆している可能性が高い。




 人格障害者が訴える苦しみなど、本人の主観はともかく、客観的・俯瞰的に見れば、たいしたものではない。

 人格障害者ほど、「楽」や「ずる」をしている人種は、そうはいない。

 (ここで反発心を覚えたあなたは、立派な人格障害者だ)

 自分の苦しみなど、たかがしれているということ。

 自分の抱える問題が解決しないのは、それが、自分では、どうにもならない・どうにもできないことだからではなく、自分に、本気でどうにかする気がないだけということ。

 ―――に、気づかなければならない。

 依存対象を探し求めたり、何か・誰かに依存している暇があったら(そうした自分の嗜癖性にすら気づかない・気づけないのであれば、なおさら)、回復・成長に向けて、死にものぐるいで自助努力することだ。

 たとえば、「あなたは、○○に依存している」と指摘されても、否認や反発、自己正当化/合理化し、依存対象から距離を置くどころか、しがみつき続けているようでは、話にならない。

 もっとも、たとえ、依存行為をやめようと殊勝に思いたったとしても、自分の気分・感情や欲望・欲求に、過剰・過大な価値や意味を見いだし、忠実であることをよしとする、それらに溺れ、踊らされるのが常のあなたが、そう簡単にやめられるものではない。

 もしあなたが、「自分ではやめようと思っているのに、やめられない」と言うのであれば、それはあなたが、自分に甘く怠惰ゆえに、本当にやめる気がない(あるいは、足りない)だけだ。



 最後に、もう一度繰り返すが、あなたがもし、生きるのが苦しく、生きづらいのであれば、自分がなぜ、苦しく、生きづらいのかを考え、知らなければならない。

 自分の苦しさや生きづらさの正体こそを、見きわめよ。






『魔法少女隊アルス』

しゃあ <メール送信>   2004/12/25 (土)   No.1103985539



 『魔法少女隊アルス』、好感度高し。

 見習い魔女シーラちゃんの声は、桑島法子。

 ▽ 魔法少女隊アルス
   [Link]



 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の放送開始に合わせて、毎日放送で放送された、映画版『新機動戦記ガンダムW』(『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別篇』)の録画を、先日、ようやく見た。

 富野さんの手を離れた「ガンダム」である、TVシリーズの「W」は、内容的には「ガンダム」と呼べるものではなかったが、独立した作品として十分に楽しめるものだった。

 この映画版も、まずまずの出来。

 「W」のキャラクター・デザインは、村瀬修功。

 「SEED」の平井久司より、よほどよい。

 ▽ 新機動戦記ガンダムW
   [Link] [Link]







子どもだましの荒唐無稽な茶番劇

しゃあ <メール送信>   2004/12/24 (金)   No.1103899627



 『機動戦士ガンダムSEED』放送時にも指摘したことだが、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』もまた、同様に、ストーリーを担当しているスタッフは、監督以下おしなべて、政治や戦争というものが、まるでわかっていないようだ。(監督やシリーズ構成者以下、主要制作スタッフの顔ぶれが、前作と同一なのだから、当たり前か)

 子どもだましの荒唐無稽な茶番劇で、リアリティがないこと、はなはだしい。

 見ている方が、恥ずかしくなるレベル、と言えばよいだろうか。

 監督の福田己津央自身は、批判をかわすためか、「アニメでの戦争はファッション」などと、こざかしい軽薄な発言を弄し、批判への予防線を張ったつもりでいるようだが、そのような言い訳が通用するとでも思っているのだろうか。

 福田は、「気に入らなければ見なければいい」というたぐいの発言もしているようだが、これは、他者・外部からの正鵠を射た、自分への批判や苦言に対して、耳を貸そうとせずに拒絶・忌避し、一切、受けつけも受け入れもしない、自己中心的・独善的な人間に特有の思考パターン・主張に他ならない。

 もっとも、福田は、公式の場で、以下のような間抜けな発言を平然と行う、正真正銘の大ばか者のようなので、それもやむを得まい。

 「『SEED』は米同時多発テロを受けて作られたストーリーだが、『DESTINY』では、はっきりとしたテーマは決めてない。見た人がそれぞれ見つけ出して欲しい」。

 ちなみに、エグゼクティブ・プロデューサーである、宮河恭夫(サンライズ)と竹田菁滋[青滋](毎日放送)は、それぞれ、以下のように明確に述べている。

 「SEEDは『非戦』がテーマだった」「米同時多発テロがあって、戦争を描くのがタブーのようだったが、若い人たちに戦争をちゃんと見せて、『もうやめよう』と思ってもらいたかった」「1作で戦争は描ききれない。『なぜ戦争って終わらない』のかを描きたかった」(宮河)。

 「今回はイラク戦争やパレスチナ紛争などにつながる『戦争を続けるメカニズム』を背景に描いている」(竹田)。

 ▼ まんがたうん まんたん堂 『電太!』第4号
   [Link]



 そのお粗末ぶりは、枚挙にいとまがない。

 一点だけ、具体的に指摘しておこう。

 地球連合は、ナチュラル原理派とでも呼ぶべきブルーコスモスに操られ、旧ザフト残党によるコロニー落としを口実に、ザフトに対して、なんらの政治折衝・交渉の段階を踏むことなく、唐突・拙速に(無思慮で軽率としか評価しようがない)核攻撃を含む先制攻撃を仕掛ける。

 たしかに、そうした開戦の図式・構図は、キリスト教右派の支持を受けるネオコンに操られるアメリカが、〈9.11〉後の情勢を利用して、イラクに対して先制攻撃を仕掛けた現実の戦争を、一見彷彿とさせ、表面的・表層的には、その引き写しであるかのように見えるかもしれない。

 制作スタッフは、実際に、そうした現実の戦争を念頭に置き、下敷きにしているつもりなのだろう。

 だが、そのディテールにおいて、単なる相違では片づけられない荒唐無稽ぶりは、歴然としている。

 アメリカでさえ、イラクに軍事侵攻するまでには、UN安全保障理事会での論議・決議をはじめとする、さまざまな政治折衝・交渉を行い、形ばかりではあっても、それなりの手順・手続きを(彼らにとっては、気が遠くなるほどの手間と時間を費やして、しぶしぶながらも)踏んでいるのである。

 しかも、軍事力を含め、地球連合と拮抗する国力を保持するザフトは、現実世界に照らし合わせれば、イラクのような小国には該当しない。

 たとえるならば、アメリカと並ぶ超大国として、かつて冷戦と呼ばれた、世界を二分する対立構造を、アメリカとともに生み出した、冷戦時代におけるソ連に、比肩・相当するだろう。

 イラクとソ連とでは、国家としての質と量の両面において、比べようがないほどに、その存在は大きく異なる。

 冷戦時代、代理戦争としての内戦や地域紛争こそ、あとを絶たなかったが、保有戦力が拮抗するアメリカとソ連は、核抑止力という幻想にも支えられて、ソ連が崩壊するまで、全面戦争どころか、両国が直接武力衝突〜交戦状態に入ることすら、けっきょく一度たりともなかったのである。

 ―――という歴史の事実を、制作スタッフは、はたして理解しているだろうか?

 当事国の戦力が非対称でないかぎり、そう簡単に、安易な先制攻撃など、できるものではないのである。

 しかも、それが、占領ではなく、国家や民族の消滅・殲滅〜民族浄化を目的とした、核兵器使用による、民間人・非戦闘員もろともの無差別攻撃・虐殺とは、開いた口がふさがらない。

 制作スタッフが、高強度紛争(大規模通常戦争)・中強度紛争(地域紛争)・低強度紛争(内戦や破壊活動)の区分や相違すら理解していないことは、明白だろう。



 政治や戦争の世界がわからず、ままごとレベルの政治や戦争しか描けないのなら、そうした題材を扱わないか、さもなくば、きちんと学習せよ。

 監督の福田己津央とシリーズ構成者の両澤千晶は、『ガサラキ』でも見て、己の無知と身のほど知らずさを思い知り、自分たちの仕事のお粗末さを恥じた方がよいだろう。

 それにしても、これだけ臆面もなく、旧「ガンダム」をうわべだけなぞり、形骸化させた焼き直し作品を、パロディにすらならない無様な姿・劣化した形で再生産し、衆目に晒すことに、福田をはじめとする制作スタッフは、目覚めや座りの悪さ、忸怩たる思い(抵抗感や羞恥心)を感じないのだろうか。

 それが、いぶかしく、不思議でならない。

 その程度の自己批評能力さえ持ち合わせていないか、よほどの恥知らずか、そのどちらか(あるいは両方)であることは間違いないだろう。

 付言するならば、政治や戦争に関する部分だけでなく、人間ドラマの部分もまた、浅薄・皮相、稚拙・陳腐の極みであり、目に余るものがある。(劣悪の極致を極めた『蒼穹のファフナー』前半部よりも、もしかすると、ひどいかもしれない)

 頭が悪い上に、才能もない人間が作った、恥ずかしいまでにお粗末な駄作・愚作、と評するのが妥当・順当だろう。



 ▽ 機動戦士ガンダムSEED DESTINY
   [Link] [Link]








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