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SLAN's Garden

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身体を利用した嗜癖・自傷行為の本質

しゃあ <メール送信>   2004/9/15 (水)   No.1095259680



 摂食障害やリスト・カットなど、自分の身体を利用した嗜癖・自傷行為の本質は、現実逃避の手段・方法であり、欲求不満のはけ口〜現実では満たされない、さまざまな欲望・欲求の代償行為である。

 それらは、他者・外部を、自分の望みどおり・思いどおりに操作できないとき、自分自身の幼児的誇大感・全能感が満たされないとき、欲求不満をごまかす・晴らす、一時しのぎ・その場しのぎの、安易・安直・軽率な手段・方法、行為としてある。

 嗜癖者・自傷者は、自分が唯一所有し、望みどおり・思いどおりにできる、自分の身体を利用・操作することによって、コントロール感・充足感を得ているのである。

 合わせて、恒常的に不安感や不全感を抱え、自己像があいまいな自分を、嗜癖・自傷行為を通して、一時的・刹那的にリセットしようとする企図の側面なども持つ。(←不適切で誤った自己治療の試み)

 彼らが、嗜癖・自傷行為の感想として、異口同音に口にする、「落ち着く」「生きている実感がする」といった浅薄・陳腐な発言は、そうした心性・心理によって、もたらされる。

 たとえ、本人が自罰的・自責的な意図を匂わせたとしても、それは、「かわいそうな私」を、自分や他者・外部に向かって演出しているにすぎない。

 無意識下に隠蔽された真意は、他者・外部への不満や怒りの表明であるとともに、「だから、私に、かまって! 優しくして!」という、他者・外部に向けての、自己アピール〜主張・要求・訴求である。

 彼らの発言・行動は、まずは、こうした文脈で読まれ、解釈されるべきものである。



 嗜癖・自傷行為を、他者・外部からの圧力・強制によって、無理矢理止めさせても、無意味であり(身体的危険の回避をのぞく)、一時しのぎ・その場しのぎにしかならない。

 そればかりか、イネイブラー的・パターナリスト的干渉は、嗜癖者・自傷者の行動化を、より一層エスカレートさせる危険性すら、はらんでいる。

 嗜癖・自傷行為によって、他者から、関心を惹けること・かまってもらえることを、彼らが学習し、味を占めてしまうからだ。

 嗜癖・自傷行為を抜本的に止めさせるには、その行為の真の原因・理由〜意味(なぜ、自分は嗜癖・自傷行為をするのか?)について、自覚化・直面化させ、本人にわからせれば、よい。

 もし、本人が「わかっている」などと言いながら、止めようとしないとすれば、それは単に、真の理解・認識〜内的了解がなく、本当は「わかっていない」ということにすぎない。

 本人の精神的・霊的成長にともなって、嗜癖・自傷行為は、(その愚劣さ・軽佻浮薄さゆえに)自ずと止む。






歪んだ認知・思考システムがもたらすもの

しゃあ <メール送信>   2004/9/15 (水)   No.1095259674



 人格障害者の大半は、病識さえ持たない。

 彼らは、健常者の仮面をかぶって、社会の中に紛れ込み、何食わぬ顔で、日常生活を送っている。

 たとえ、なんらかの病識を持ったとしても、病識が極度に甘く、自分が人格障害であるなどとは、つゆほども考えない。

 こうした潜在・潜行状態の人格障害者(「隠れ人格障害者」と、私は呼んでいる)の中には、日頃から表立った・目立った行動化もなく、一見するだけでは何も問題がないかのように見える者も多い。

 だが、そのようにカムフラージュ(偽装)された彼らも、日常生活の端々では、ささいな不満やいさかいなど、たわいもない、なんらかのふとした原因・理由を契機として、簡単にたがが外れる。

 かいま見る、そうした場面での彼らは、いつもとは別の顔をのぞかせ、人格障害の一端を、はしなくも露呈する。

 彼らは、自己統御・制御能力が極度に低く、いったん暴走をはじめると、愚劣・悪質な本性がむき出しになり、歯止めが利かなくなり、手がつけられなくなる。(ひらたく言えば、頭に血が上った自分をコントロールできない。また、する気もない)

 そして、そうしたあられもない幼児的ありようこそが、彼らの嘘偽りのない本質であり、実態・正体である。

 目に見える(一見して明らかな)症状や問題行動がなくても〜表面化・顕在化していなくても、その人物の認知・思考や発言・行動を、注意深く緻密に観察・分析すれば、未成熟で歪んだ人格から、人格障害を見抜く・見いだすことは、さほど難しいことではなく、比較的容易である。



 人格障害者は、未成熟で脱中心化できておらず、脆弱・虚弱な幼児的自我しか持たない。

 彼らの、幼児レベルの自己中心的な世界(自分を中心に世界が回っている、天動説の世界)に、自分と同等・対等の、尊重すべき他者・外部は存在しない。

 そうした彼らの歪んだ認知・思考システムにおいて、その中心軸、主要な関心事は、常に、ただひたすら「自分」のことばかりである。

 彼らには、理解力・想像力や客観性・相対性、他者・外部の視点の吸収・内部化といったものが、かけらも見当たらず、みごとなまでに欠落している。

 もとより、自覚化・直面化すら困難な彼らに、自己相対化/対象化など、到底できるはずもない。

 知の未成長や情緒の未発達・未成熟・不安定が顕著な彼らにあるのは、幼児的本能・感情、あるいは、パブロフの犬レベルの条件反射・条件反応だけである。

 彼らには、歪んだ自己愛や幼児的誇大感・全能感、肥大化し、虚栄心や自己顕示欲・自己陶酔をともなった、幼稚で浅薄・陳腐、過剰な自意識はあっても、自尊感情・自尊心や自己信頼、自他の尊厳やモラルを重視し、尊重・遵守する社会性や公共意識〜感性や価値観は、ない。

 だからこそ、彼らは、たとえば、自身の無責任な変心・変節ぶりや迷惑行為を、「自分に正直な私」といったたぐいの寝言・戯言〜妄言を弄して、なんら悪びれることなく、また、一片の良心の呵責も感じることなく、ぬけぬけと自己正当化/合理化できるのである。

 彼らは、ただひたすら、他罰的・他責的であり、自分自身に、自らに起因する、看過できない深刻で重大な問題があるとは、(口先ではともかく)本気では、つゆほども考えない・認めない。

 彼らに、誠実・謙虚、そして真摯な内省・省察、あるいは、反省や自己批判、謝罪など、望むべくもない。

 そして、彼ら自身は、自分のそうした、自己中心的・独善的で、身勝手・わがままなありようや幼児性、未成熟で歪んだ人格に気づくことができず、それらへの自覚・認識を持たない・持てない。

 それどころか、往々にして本人は、自分のことを、実態・実状とはまったくかけ離れた、人百倍(人一倍どころではない)、繊細で感受性豊か、思いやりがあり、才能があって、誰よりも善良な人間である、などと本気で妄想し、思い込んで〜過信・妄信して疑わないありさまである。

 だが、彼らは、そうした自分の勘違い〜誤謬・錯誤、身のほど知らずな過信・妄信にもまた、絶望的・致命的なまでに、気づかない・気づけない。



 こうした傾向は、主に自己愛性人格障害者に顕著に見られる特性・特徴として見られがちであるが、その実、かならずしも自己愛性人格障害者にかぎったものではなく、その他のタイプの人格障害者全般にも、共通して見られるものである。

 一見、自己否定感が強く、自罰的・自責的なそぶりを見せる境界性人格障害者も、その本質は通底しており、自己愛性人格障害者ほどあからさまではないにしろ、「一皮むけば同じ穴のむじな」と呼ぶにふさわしい、(他罰的・他責的であることを含め)同様の傾向を有する。

 それらは、自信のなさの裏返しであり、自尊感情や自己信頼が欠落している(自己肯定感や自己承認度が低い)がゆえの、虚妄・虚勢にすぎない。

 彼らが抱く、歪んだ自己愛や幼児的誇大感・全能感と、(抑うつ症状を生む)自己否定感や不安感・空虚感・絶望感は、表裏一体なのである。

 歪んだ自己愛は、自己否定感を糊塗・隠蔽し、抑圧することによって、その不快な感覚・感情から逃避するためになされる、醜い自己欺瞞と合理化の方便・詐術である。

 自分の気分・感情や欲望・欲求に、常に忠実であろうとする彼らが、抑うつ状態や自暴自棄になるのは、歪んだ自己愛など、さまざまないびつな欲望・欲求が、現実では満たされないがゆえである。

 いともたやすく、嗜癖/依存症に溺れたり、自傷行為/自己破壊行動に走るのは、安易・安直・軽率な、満たされない欲望・欲求の代償行為/現実逃避行動にすぎない。

 また、こうした問題行動/行動化(アクティング・アウト)の数々は、短絡的で衝動性が高く、忍耐力に乏しい彼らの、自己統御・制御能力の貧困・欠落の表れ・証しでもある。






草履とかわらじ

ちびた <メール送信>   2004/9/13 (月)   No.1095067072



 夏の終わりが近づいています。

 今年の夏は、暑かったので、少しでも涼しくすごせるようなものに惹かれました。

 汗をよく吸って、速く乾くシャツとか、草履やわらじなど。

 今年は買わなかったけれど、いつか買うかもしれません。

 では。






「症状さえ消えれば」という誤謬・錯誤

しゃあ <メール送信>   2004/9/9 (木)   No.1094740912



 人格障害の核心は、未成熟で歪んだ人格そのものであり、表面化・顕在化した周辺症状や問題行動は、病の表徴・証徴や発現にすぎない。

 人格障害者は、往々にして(ほぼ例外なく)、問題視されにくい依存対象/逃避手段・場所の獲得による、精神状態の多少の安定化、自覚症状や問題行動の緩和・抑制・改善〜軽減・消失程度で、自分は「もう大丈夫だ」「回復できる」「回復した」などと考える。

 ※問題視されにくい依存対象/逃避手段・場所 → もっとも一般的なものとして、「家族」や「恋人」という名の共依存者、未成熟で歪んだ自己愛や虚栄心を充足させる職業・資格・立場、あるいは、治療者・援助者、各種薬剤など。

 だが、「症状さえ消えれば」「〜さえしなくなれば」(あるいは、「〜さえできれば」)、問題が解決する(した)という安易・安直・軽率な発想・考え方は、浅はかで、勘違い・的はずれもはなはだしい誤謬・錯誤である。

 目に見える(一見して明らかな)症状や問題行動がなければ〜表面化・顕在化していなければ、それでよい、―――ということにはならない。

 また、目に見える(一見して明らかな)症状や問題行動がない〜表面化・顕在化していない=人格障害ではない、―――ということにもならない。

 それらが、自分の期待・願望に反して、問題の不在や回復を、保証も証明もしないという事実に気づかないかぎり、その先はない。



 自らの手によって克服・解決しなければならない問題として、自らの未成熟で歪んだ人格そのものへの自覚化・直面化を行わないかぎり、回復・成長はない。

 そうした、きびしい回復・成長作業の過程を経ることなく詐称・僭称された「回復」なるものは、まやかしのまがいものであり、およそ回復と呼びうる代物では、まるでない。

 それどころか、その実態は、回復とは縁もゆかりもなく、未回復であるばかりか、回復過程の途上にすらない。

 だが、人格障害者は、自分の欲望・欲求を満たすことに対しては、貪欲そのものだが、それ以外のことに関しては、ひたすら怠惰であり、忍耐力が欠如している。

 欲望・欲求への耐性(欲求不満耐性)が極度に低く、怠惰で忍耐力がない彼らには、回復・成長作業に専念することなど、まずできない。

 そのあげくに、彼らは、成長を伴った真の回復、さまざまな問題の克服・解決からは、まったく無縁でほど遠い、せいぜいが周辺症状の増悪・寛解を繰り返すだけの、終わりも出口もない(自業自得の)負のサイクルに、否応なく陥っていく。

 他者・外部に対する依存心や執着心、虚栄心を捨て去り、断ち切ること、欲求不満耐性を強化することが、回復・成長作業の過程における、非常に重要なバロメータでありメルクマールである。






「肥満」とは何か?

しゃあ <メール送信>   2004/9/9 (木)   No.1094740541



 近年、先進国はもとより、途上国においてすら、年々、肥満が増加し、急速・急激に進行している。

 (WHO/世界保健機関は、途上国を含め、10億人以上の成人、2千万人以上の5歳以下の幼児が肥満として、警告を発している)

 ▼ WHO | Obesity and overweight
   [Link]



 現代社会において、肥満は、すぐれて心の問題である。

 リバウンドを繰り返す肥満は、遺伝的・体質的な問題ではなく、怠惰な生活習慣や摂食障害によってもたらされる身体症状の一種である。

 肥満予防〜体重抑制・制御ができないのは、欲望・欲求/快楽志向への耐性が低く、意志が弱いためであるにすぎない。

 肥満の克服には、旧来の価値観を転換し、自分の欲望・欲求/快楽志向、および、世界に拡大する(いわゆるアメリカ型の)消費情報社会/市場(大衆の欲望を煽り続け、その欲望を無前提に肯定し称揚する)が宣伝・扇動する欲望・欲求/快楽志向への、抵抗力・忍耐力を獲得することが、まずは必要となる。

 ダイエット(拒食症のような病的な減量〜嗜癖・行動化は除く)が困難な人間は、意志が弱く、自制心・自省心・自律心が不足している。

 ダイエットは、そうした自分との闘いである。

 やせられない人間、やせてもすぐにリバウンドする人間は、食欲を抑えられず、食事制限〜適切な食生活を持続する忍耐力がないだけだ。

 脂肪やカロリーを目の敵にし、低脂肪食品や低カロリー食品に飛びつく暇があったら(果ては、胃腸の切除手術とは、正気の沙汰ではない)、自分の意志の弱さを克服し、飽食の価値観を転換しなければならない。






シミュレーショニズムの海で溺れる似非表現者たち

しゃあ <メール送信>   2004/9/3 (金)   No.1094222822



 7月からテレビ東京系列にて放送がはじまった、『蒼穹のファフナー』。

 『新世紀エヴァンゲリオン』の粗悪なフォロワー/エピゴーネンの、最たるものだろう。

 シリーズ構成・脚本が、お粗末すぎる。(作画や演出のクオリティは、それほど悪くはない)

 ずさん、支離滅裂、ご都合主義。

 浅薄・皮相、稚拙・陳腐。

 リアリティや整合性〜説得力のかけらもない。

 しかも、大仰・深刻・もったいぶった、こざかしくあざとい、思わせぶりなストーリー進行。

 なんらの必然性も合理性も見いだすことのできない、作為に満ちた、不自然で白々しい悲劇が、強引かつ執拗に繰り返し捏造され、最低限の説明すらもなされないまま、矢継ぎばやに、次々と展開されていく。



 これほどまでに、奇矯でいびつな物語を、平然と作ることができる無能ぶり、感性・感覚の無神経さ・バランスの欠落には、ある種の驚愕と嘆息を禁じ得ない。

 力量不足もはなはだしい、クリエイター気どりの似非表現者が、テーマも焦点も定まらないまま、素材だけを寄せ集め、もっともらしく継ぎ接ぎ・切り貼りした(それすらも失敗しているが)、悪しきシミュレーショニズム的手法の産物だ。

 過去の作品から、それらしき、既成・既出のさまざまなフォーマット・設定・道具立てなどを、抜け目なくかき集めて一通り揃え、整えてはみたものの‥‥‥。

 もくろみは、あえなく頓挫し、せっかく、ふんだんに用意だけはしたそれらを、表面的・表層的になぞるだけで、消化・昇華できず、適切・相応にバランスよく、活用することも、ストーリー構成することもできない。

 その結果、精一杯背伸びをしてみたものの、そのあげくに、大風呂敷とはったりの馬脚を露呈し、空疎で散漫な物語は収拾がつかず、ままごとじみた茶番劇に終始せざるを得ない羽目に陥った、というところか。

 内容が伴わないまま、シミュレーショニズムの海で溺れ、作品は破綻・難破の憂き目にあう、という失敗作の典型例と言えるだろう。

 もっとも、当の本人たち(特に、シリーズ構成・脚本担当者)は、溺れている自覚さえも、ないのかもしれない。

 みごとなまでに、いきあたりばったり・なりゆきまかせ・出たとこ勝負の、やっつけ仕事の域を出ず、そうしたそしりを免れないだろう。

 あるいは、多分に自己満足・自己陶酔の、度が過ぎた悪ふざけとでも言うべきか。



 かつて、宮崎駿が、「エヴァンゲリオン」のことを、「病気の人が作った、病気の人のための作品」と揶揄していたのを記憶している。

 だが、この「ファフナー」などは、そうしたレベルにすら達しておらず(「エヴァンゲリオン」のレベルからは、ほど遠い)、現時点では、子どもだましの駄作・愚作としか言いようがない。

 そして、こうした無内容・浅薄・陳腐・看過できない荒唐無稽といった傾向は、「ファフナー」ほどではないにしろ、近年のシリアス系ロボット・アニメーション作品全般に通底した特徴だ。

 これは、富野由悠季や高橋良輔世代以降、この種の物語世界を、きっちりと構築できる思想や世界観、加えて手腕を合わせ持った、作家性の高い監督の不在を示している。

 この、新旧の世代間に顕著な格差・落差は、『ラーゼフォン』『機動戦士ガンダムSEED』のような新世代作品と、『無敵超人ザンボット3』を嚆矢とし、旧「ガンダム」シリーズに代表される旧世代作品(比較的近年の作品で言えば、『ガサラキ』でもよい)とを比較すれば、一目瞭然だろう。



 ▽ 蒼穹のファフナー
   [Link] [Link]







『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』

しゃあ <メール送信>   2004/8/31 (火)   No.1093963684



 2005年劇場公開予定の『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』(総監督:富野由悠季)の制作現場が、新作部分の作画の質をめぐってもめたようだ。

 安彦良和は、いまだに、マンガ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を描いているのだから、キャラクター・デザイナーとしての責任を果たすためにも、劇場版「Z」の作画監督を引き受けるべきではないか?

 もっとも、安彦さんにとって、「Z」のキャラクター・デザインこそが、「最後の奉公」に他ならなかったのだろうが‥‥‥。

 (そもそも、TVシリーズ版「Z」に、安彦さんが作画監督を務めた回が一本もないということ自体が、おかしいと言えばおかしいのだ)

 安彦さんが引き受ける可能性が万に一つもないことは、重々承知の上だが、あえて、そう提言しておく。


 ▽ 機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者
   [Link]







「この記憶だけが二人の真実」

しゃあ <メール送信>   2004/8/30 (月)   No.1093876946



 劇場版アニメーション『ラーゼフォン 多元変奏曲』(2003年)。

 TVシリーズと同様、作品のクオリティ自体は感心しなかったが、断片的には悪くない部分(主に、リリシズム/センチメンタリズム表現において)もあった。

 失ったものへの喪失感と、どのように折り合いをつけるか。

 「この記憶だけが二人の真実」、としか言えないのかもしれない。

 山田章博のキャラクター・デザインが、秀逸。

 それにしても、美嶋遙(神名玲香):坂本真綾、如月久遠:桑島法子というキャスティングは、有無を言わせないものが‥‥‥。


 ▽ ラーゼフォン 多元変奏曲
   [Link] [Link] [Link]







幼虫。

ジュエリー <メール送信>   2004/8/28 (土)   No.1093701748



 こんにちは。


 最近、ナスを糠漬けにした時のことなのですが・・・。

 ナスが小さかったので、少々、探すのに苦労しながら、糠床を掘りかえしていました。

 その時、ふと・・・。

 昔、ケースの中で飼っていたカブト虫の幼虫を、腐葉土の中から掘り出していた時のことを、思い出しました。

 なんだか、懐かしい感じ・・・。

 腐葉土の匂いまで、思い出してしまいました。


 もし、白いカブラあたりを漬けていたら、もっとリアルだったかも!?


 では。






言い訳は、もういい

しゃあ <メール送信>   2004/8/13 (金)   No.1092408428



 歪んだ自己正当化/合理化のためになされる歪んだ理論武装(屁理屈の数々)は、一点の綻びや裂け目から、将棋倒し状態に崩壊しはじめる。

 歪んだ認知・思考や発言・行動を修正・矯正しなければ、問題は解決しない。



 何もせずに、じっとしていられないのは、精神が病んでいる証左だ。

 自分が抱える問題と向き合わず、先送りを繰り返し、目先の欲望・欲求に溺れて逃避しているかぎり、問題が解決することはあり得ない。

 じたばた、あがくのはやめろ。

 無為を生き、ただひたすら、自分と向き合え。



 人格障害の治療とは、誤解を恐れずに、身もふたもなく端的に言えば、聞こえは悪いが、たちの悪い・ろくでもない飼い主に、たちの悪い・ろくでもないしつけをされて、性根のねじ曲がった犬を、あらためて、一からしつけ直すようなものだ。

 しかも、さらに困ったことには、人間は、犬ほど素朴・素直・従順ではない。

 人格障害からの回復・成長が、一筋縄ではいかず、いかに困難か。

 人格障害者本人をはじめ、当事者(自称・援助者も含む)の自覚・認識は、絶望的に甘すぎる。



 人格障害から、あなたを回復・成長させるのは、治療者・援助者のような他者ではなく、あなた自身なのだ。

 他者に、治療して「もらおう」、援助して「もらおう」、などと虫のよいことを期待・願望しているうちは、何も変わらない。

 あなたが、必要かつ適切な自助努力をしなければ、回復・成長はない。

 だが、必要かつ適切な自助努力をすれば、した分だけ、確実に回復・成長に近づけることもまた、しかりなのだ。

 ただし、不断の努力によって継続しなければ、それはただちに、砂上の楼閣のごとく、元の木阿弥と化す。

 そして、言うまでもなく、あなたに、そうした自助努力を課すことができるのは、あなた自身しかいない。

 まず手はじめになすべき自助努力の一つは、あなたが、自分ではよかれと思い、している・できているつもりの自助努力が、ことごとくその名に値しない(それどころか、回復・成長を阻害するものでしかない)という現実を、自覚・認識することだ。



 寝言・戯言や言い訳は、もういい。

 時間は、確実にすぎゆく。待ってはくれない。

 自分を救えるのは、自分だけだ。

 ただひたすら、死にものぐるいで、自助努力せよ。







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