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SLAN's Garden

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そういうことかっ。

ジュエリー <メール送信>   2004/7/18 (日)   No.1090130084



 こんにちは。

 最近、電気カミソリを使い始めました。

 これが、なかなか、手軽で便利!

 ところが、調子にのって、寝ころがったまま、上を向いて、ヒゲを剃っていると・・・。

 なんと、刈り取られて粉末になったヒゲが、アゴの上に、大量に降りそそいできました。

 そうか。そういうことかっ。

 もう、電気カミソリは、逆さにして使いませんっ。

 では。






依存症者のビヘイヴィア 4

しゃあ <メール送信>   2004/7/5 (月)   No.1089038883



 人格障害者の目に映る、彼らが見ている世界は、混沌とし、転倒・歪曲・倒錯した、だまし絵の世界である。

 だが、認知・思考が歪み、回避・否認や抑圧・隠蔽が日常化した彼ら自身は、その世界がだまし絵で構成されていることに、まったく気づかない。

 それは、すなわち、自身の認知・思考システムに張りめぐらせた回避・否認などの巧妙・精緻な防衛機制、および自助努力〜自己変革の意志と覚悟の欠如によって、自覚化・直面化ができない、ということでもある。

 自己中心的・独善的で、身勝手・わがままな彼らの心身には、抑うつ・不安・焦燥などをはじめとする、さまざまな症状が生じる。

 それらは、たぶんに、ものごとが自分の思いどおりにならないという、欲望・欲求が満たされず、期待・願望と現実とのギャップへの欲求不満から生じる、ストレス症状にすぎない。

 彼らは、未成熟で脱中心化できておらず、脆弱・虚弱な幼児的自我しか持たない。

 そうした人格傾向・性向は、たとえば、自分の意に添わない助言、批判や苦言を拒絶し、いっさい耳を貸さない(それが、どれほど的を射たものであろうと)といったビヘイヴィアに、端的に表れる。

 しかも彼らは、自身の幼児的所作に、まったく気づかない。(本人は、「受け入れ」「耳を傾けている」つもりである)

 まさに彼らは、自身の幼児的誇大感・全能感や欲望・欲求にまみれ、踊らされながら、知らぬは本人ばかりの、八方ふさがりで出口のない、行きづまり状況の袋小路の中で生きている。



 人格障害者は、自分の問題を、自身で引き受けようとはしない。

 他者・外部に責任転嫁し、他罰的・他責的にしか見ない・考えない。

 自身に内在する、さまざまな歪み・誤りなどには、およそ興味・関心を持たない。

 回復・成長に向けての自助努力などする気は、はなからさらさらない。

 その一方で、彼らは、「かまってほしい」「ちやほやしてほしい」という、幼稚な幼児的欲望・欲求を満たすためには、なりふりかまわない死にものぐるいの努力を、いとわない。(俗に、「かまってちゃん」と蔑称され、揶揄される所以である)

 彼らは、自分に関心を持ってもらい、かまってもらうためなら、どのようなことでもやってのける。

 彼らは、自意識過剰で、自己顕示欲が強く、自己陶酔を非常に好む。



 人格障害者が真に望み求めているのは、自分の気分・感情や欲望・欲求に、常に忠実であること、期待・願望が、(他者の手によって)現実に実現されることのみである。

 そのために彼らが、切実に必要とし、探し求めているのは、依存対象として自分を支え、さらには自分の問題を肩代わりし、面倒を見てくれる共依存者・助長者(イネイブラー)である。

 残念ながら、適切な助言者・援助者や、自らの回復・成長に向けて行うべき、自助努力のためのサポートなどでは、けしてない。

 周囲の人間が、いったん、受容・共感、あるいは支持の美名のもとに迎合すると、彼らの退行や問題行動、他者への依存や要求は、とどまることを知らずに、一層エスカレートしていく。

 彼らに関わる場合は、こうした点を、(自身の救済者願望・幻想を刺激されるなどして)くれぐれも見誤らないように用心し、細心の注意を払わなければならない。






依存症者のビヘイヴィア 3

しゃあ <メール送信>   2004/7/4 (日)   No.1088952683



 人格障害者が、他者・外部に向けて発する、自己アピール〜主張・要求・訴求は、一方では、ある種のSOS信号の一面を持つのも事実であり、そうした見方・受けとり方も、あながちまちがってはいない。

 ただし、そうしたSOS信号を、額面どおりに受けとり、真に受けてはならない。

 彼らは、実に安易・安直・軽率に、迷惑やなりふりをかまわず、「助けて」と他者に助けを求め、しがみつく。(俗に、「助けて系」と蔑称され、揶揄される所以である)

 こうした言動・振る舞いは、対人操作・人間関係の操作(巻き込む、振り回すなど)の企図を含んだ、他者という依存対象への依存行為(関係嗜癖)にすぎない。

 誤解してはならない・押さえておかなければならない重要な点は、彼らの本心が、あくまでも、まさに「助けて」という言葉の字義どおりでしかないことである。

 真の意味で、つまり、自らが回復・成長することによって(そのためには、きびしい自助努力が必要となる)、「助かりたい」のでは、さらさらない。

 そうした主体性や自律性が欠落しているのも、彼らの特性・特徴のひとつである。



 そもそも人格障害者は、「助かる」という状態・状況の理解・認識そのものが歪み、誤っており、回復・成長や自助努力のなんたるかを含めて、まったく理解・認識していない・できない。

 にもかかわらず、彼ら自身はすぐに、本気で「わかっている」「している」つもりになる。(彼らにとってこれは、開き直りですらなく、偽らざる本心である)

 彼らの「助けて」とは、一次的・直截的には、自助努力は一切なしに、すべて他者の力・他者の丸抱えによって、自分のつらさ・苦しさや症状を和らげ癒してほしいという、他力本願で他者依存的な期待・願望の表現・表明であり、主張・要求・訴求である。

 加えて、見逃してはならないのは、そこにあるのが、そうした期待・願望だけではないことである。

 幼児的誇大感・全能感や欲望・欲求を、次々と際限なく、しかも十全に、「満たして」「かなえて」という野放図で虫がよい期待・願望さえもが、内包・包含され、潜んでいる。

 依存対象として目をつけた相手が、自身の期待・願望を満たすことができないと判断すると、被害者意識や被害妄想まみれの彼らは(なんとも自分勝手な話ではあるが)、一方的に、不信感や裏切られ感を抱き、失望・落胆し、極度の絶望感に駆られる。

 また、相手に見捨てられる前に、見捨ててやるとばかりに、相手を否定・批判、非難・攻撃して、遁走する。

 こうした人格障害特有の感情体験が引き金となって、行動化が激化し、果ては、安易・安直・軽率な自殺未遂(あくまでも、未遂である)の実行にまで至ることも、めずらしいことではない。






依存症者のビヘイヴィア 2

しゃあ <メール送信>   2004/7/3 (土)   No.1088866506



 嗜癖は、その人間の内部に存在する、さまざまな歪み・誤りが、自己統御のくびきから逸脱して噴出し、いびつな形で表出・表面化したものである。

 それは、第一に、現実逃避の手段・方法である。

 第二に、現実では満たされない、さまざまな欲望・欲求の代償行為である。

 欲求不満を糊塗・隠蔽し、抑圧するために、あいまいな欲望・欲求を、あいまいな欲望・欲求のまま、安易・安直・軽率に満たして、発散することを目的化している。

 第三に、他者・外部に向けての、自己アピール〜主張・要求・訴求である。

 周囲の人間への、無意識レベルでの対人操作・人間関係の操作の企図を含み、言語化されない表現として、主に身体を用いた行為の形を借りてなされる。

 第四に、不適切で誤った自己治療の試みである。



 人格障害者は、未成熟で脱中心化できておらず、脆弱・虚弱な幼児的自我しか持たない。

 彼らの日常において、自身の身体や社会性などを傷つけ、損ねることをもいとわない、自傷的・自己破壊的な言動〜問題行動(=行動化)は、見なれありふれた風景・光景である。

 行動化による、なりふりかまわぬ現実逃避や対人・対社会アピールは、嗜癖にかぎらず、さまざまな形でなされる。

 総じてそれらは、やみくもになされ、消費・玩弄・蕩尽される、無謀で不毛な、短絡的・衝動的行為である。

 また、たぶんに、自意識過剰な自己顕示欲や自己陶酔を伴った、演技性障害・虚偽性障害の側面を持つ。






依存症者のビヘイヴィア 1

しゃあ <メール送信>   2004/7/2 (金)   No.1088779688



 人格障害者は、例外なく嗜癖体質の持ち主である。

 彼らに共通する特性・特徴として、欲望・欲求への耐性(欲求不満耐性)が極度に低く、その一方で、依存心は極度に強い。

 そうした特性・特徴がもたらす当然の帰結として、彼らは、対象はどうあれ、いともたやすく嗜癖/依存症に陥る。

 しかも(おそらく不幸なことに)、現代の先進資本主義国である日本は、大衆の欲望を煽り続け、その欲望を無前提に肯定し称揚する、高度資本主義化/成熟・爛熟化が進行した消費情報社会である。

 そうした社会では、嗜癖/依存症を誘発する、嗜癖体質の人間には危険な(彼らにとっては、甘美で心地よい)価値観や装置・存在が、巷に横溢している。

 その選択や入手はたやすく、嗜癖として耽溺する対象に事欠くこと・不自由することは、およそない。



〔補足〕

 こうした現実の社会環境・状況が、人格障害者の発現や顕在化を促進する背景になっている。

 これは、現代社会そのものが抱える病弊である。

 そうした社会の内部においては、人や社会システムが、有機性や自律性を失い、アパシー状態に陥る傾向が強まる。

 忍耐力が欠落した、短絡的で衝動性の高い人々の出現とありように表徴される、社会のアノミー化や大衆のボーダーライン化の進行は、不可避であり、必然的な現象である。

 自由の大前提にあるのは、自己決定・自己責任という基本原則である。

 そのプロセスを経ない、幼稚で浅薄な「個人の自由」の肥大化は、そうした基本原則を認知しないまま、その権利のみを享受しようとする、自由とわがままをはき違えた、無責任な「困ったちゃん」を大量生産する。

 いまや、社会性や公共意識を身につけることなく、幼児的誇大感・全能感にまみれながら、その一方では自尊感情すら喪失した人々が、大量発生するとともに、野放し状態にある。

 人格障害者の問題を問う前提のひとつとして、その増加〜発現や顕在化の背景にある、こうした、現在の日本人/日本社会の病弊を見据える必要があるだろう。






近況

上山 <ta-u@yacht.ocn.ne.jp>   2004/6/22 (火)   No.1087909057



 お久しぶりです。上山です。

 しばらくSLANのミーティング等から遠ざかっていました。
 その理由としては、色々用事が重なったというのもありますが、今年初めのミーティングに出席した後に考えるところがあったからです。

 ミーティングに出れば、そこでは一応分かったようなことを言う。
 だが、それが果たして身についていると言えるのか。
 ただその場に応じて相手に合わせているだけではないのか。
 だというのであればそれは結局、相手の話を聞いていないということにはならないだろうか。

 そういうようなことを考えるようになりました。

 それだけではなく、ミーティングに出れば相手に合わせるようなこと、物分りのいいようなことを私自身言います。ですがその反動で、相手に対する反発を自分の中でこらえきれなくなることもあるのです。自分が不当に押さえつけられていると感じられる、という感覚です。
 それは無論、やつあたりの類のものだとも思います。
 黙って飲み込むのが大人の振舞いだとも思います。
 ですが、つい何かの弾みで吐き出したくなることがあります
(私の日記の随所にそうした記述が見られます。これについては、率直にお詫びします)。

 それは多分、相手に依存していることの証でしょう。
 自分の頭で考えず、相手に導かれるままに生きる。
 いつの間にか、そうした怠惰な性格を身に付けてしまったような気がしました。

 そういう反省があるので、しばらく一人で色々自分のこれまでの人生や、今の状況を見つめ直すことを心掛けています。

 現在のところ、私はそういう状態にいます。

 それでは失礼します。






日ごろ、目につかないもの。

ジュエリー <メール送信>   2004/6/16 (水)   No.1087381041



 こんにちは。


 アルバイト先から帰ろうとすると、かなりの雨が降りだしていました。

 カッパも持たずに、スクーターで出勤していたので、少し悩んだ末・・・。

 濡れると面倒な上着と靴は、「ヘルメット等を収納する、座席の下の物入れ」に入れて、「Tシャツ+Gパン+靴下」という姿で帰ることにしました。


 そして、自分の住んでいる団地に着いて、駐輪場にスクーターをとめてから、棟に入るまでの数十メートルの間に、犬の糞を、二つも見つけてしまいました。

 ほんの、数十メートルの間に、二つも・・・です。


 足には靴下しか履いていなかったので、かなり、ハラハラしました。

 もし、靴を履いていたら、二つも見つけられなかったかもしれない・・・。

 それどころか、踏み潰していたかもしれない・・・。

 こわい。こわい。


 では。






コミュニケーション障害のかたち

しゃあ <メール送信>   2004/6/12 (土)   No.1087052175



 人格障害者に共通する特性・特徴の一つは、「恩知らず」なことだ。

 今日の「信頼」は、明日にはあっさりと裏切られ、跡形もなく崩れ去る。

 どれほど善意や誠意をもって接しても、そうした善意や誠意は、気分次第で紙くず扱いされ、なんのためらいもなく、ごみ箱に捨てられる。

 彼らは、自分の都合しか考えておらず、いとも簡単に手のひらを返し、世話になった人間に対して、なんの自覚も良心の呵責も感じることなく平然と、筋の通らない、身勝手・わがままかつ恩知らずな物言いを口にし、態度を示す。

 そもそも、彼らには、自分が「世話になった」という自覚・認識がなく、したがって、自分が「恩知らず」であるという自覚・認識も 自らがなした裏切りに対する自覚・認識も、ない(あるいは、極度に薄い)。

 「してくれて当然」「するのは相手の勝手」「(相手が)したいから、しているだけ」と思っており(彼らにとってこれは、開き直りですらなく、偽らざる本心である)、感謝の念など感じない・持たないし、それどころか、「してくれない」相手には、逆恨みの感情まで抱く。

 貧困で歪んだ人間観や対人スキルがもたらす、彼らのこうした心理やビヘイヴィアは、認知・思考の歪みや、知的・情緒的成長の停滞に起因し、そこから派生するコミュニケーション障害の一端を、端的に示している。

 彼らの生態として顕著に見られる、自分の気分・感情や欲望・欲求にのみ忠実で、いともたやすく心変わりしてはばからない、無責任な変心・変節ぶりの現れでもある。



 人格障害者は、未成熟で、幼児期の自己中心的な世界/自己中心性から脱皮(=脱中心化)できておらず、その中で生きている。

 彼らの精神年齢は、幼児レベルの低さであり、自意識過剰で、他者への理解力・想像力や共感性が乏しい(あるいは、皆無に近い)。

 彼らの大半は、自助努力を怠り、回復・成長しないまま、いつまでたっても、さまざまな形で、無知・無理解や無責任ぶり、わかった風な口をきく、減らず口をたたく、屁理屈をこねる、などの困ったちゃんビヘイヴィアを、あきること・懲りることなく露呈し、繰り返し続ける。

 他者・世界と自分との間に、きちんと境界線(バウンダリー)を引くことができない。

 窮鼠猫を噛むがごとしの主観的な被害者意識や、眼前の苦行を回避する快楽志向、世俗的欲望から、脱却・脱皮できない。

 無意識下に抑圧・隠蔽された心理や記憶を、意識の俎上に載せ、自覚化・直面化しないかぎり、自身のさまざまな歪み・誤りを修正・矯正しようがないことに、気づくことができない。

 そうした彼らに、対等な人間関係・双方向的な人間関係の構築など、望むべくもない。



 コミュニケーションにしろネゴシエーションにしろ、信義則を前提に、接点や折り合う点があってこそ成立するのであり、そうしたものがない相手とは、コミュニケーションもネゴシエーションも成立しようがない。

 生きるという、不安や絶望、虚無と隣り合わせの不安定・不確定な存在過程の中で、唯一自分を支える・支えてくれるのは、他者とのつながり〜信頼できる人間関係だけだ。

 他者との間の信義則を裏切る「恩知らず」な行為は、けっきょくは、自分で自分の首を絞めることにしかならない。

 その程度のことにすら気づかない・気づくことができない人間には、救いはない。






現実逃避への玩弄・蕩尽 〜ボーダー系Web日記の罪過〜

しゃあ <メール送信>   2004/6/2 (水)   No.1086188031



 人格障害者が現実逃避のために垂れ流しているWeb日記(Weblogを含む)には、自分を甘やかすだけの、愚にもつかない寝言・戯言が並ぶ。

 そこに書かれているものは、虚栄心や誇大感・全能感まみれのくだらない自慢話か、被害者意識や被害妄想まみれの愚痴・泣き言だ。

 あるいは、自己正当化/合理化のための言い訳の数々、減らず口や屁理屈、詭弁でしかない。

 気どり・知ったかぶりで、無知・無理解を露呈する、無意味・無内容、的はずれ・とんちんかん・支離滅裂、幼稚・浅薄・陳腐、総じて空疎な駄文ばかりだ。

 誠実・謙虚、そして真摯な内省・省察からは、ほど遠い。



 気分・感情や欲望・欲求のおもむくままに、ことばを弄び、空疎な駄文を、Web日記としてインターネット上へ垂れ流す愚行への耽溺は、回復・成長を妨げ、病の固定化・悪化をもたらすものでしかない。

 また、インターネットへの依存性を高め、関係嗜癖を増悪させるなど、ネガティブな側面のみがともない、よいことは一つもない。

 まずは、わかった風な口をきくこと、減らず口をたたくこと、屁理屈をこねること、詭弁を弄することをやめ、自制・自省し、忍耐力を身につける実践訓練から、はじめなければならない。

 Web日記はもとより、インターネットの利用すべてを、ひとまずはやめて、インターネット環境から心身を離すこと。

 言動に際しては、自分が、認知・思考の歪んだ「わかっていない」人間であることを前提として、誠実・謙虚に振る舞い、指摘や助言に真摯に耳を傾けること。

 そうした自助努力を行わないかぎり、回復・成長は遠のくばかりだ。



 人格障害者は、嗜癖/依存症に溺れ、あらゆるものを、現実逃避の道具・手段として消費し、玩弄・蕩尽していく。

 そうした放埒・放蕩なビヘイヴィアが、ことごとく、彼らを回復・成長から遠ざける。

 回復・成長のためには、これまでの不適切で誤った生き方・あり方、姿勢・態度とは対極の、ストイックな生活環境・生活スタイルの堅持と、ディシプリン(修練)への専念が、最低限の前提条件・必要条件となる。

 嗜癖体質の人間は、共通する特性・特徴として、欲望・欲求への耐性(欲求不満耐性)が極度に低く、対象はどうあれ、簡単に嗜癖/依存症に陥る。

 自分が、嗜癖体質の人間であることを常に自覚し、内なる欲望・欲求の誘惑を断ち切り、嗜癖対象となりうるものには近づかないように、細心の注意を払うこと。

 自分の気分・感情や欲望・欲求を妄信し、それらが志向・嗜好するものを、求めてはいけない。

 自分が、認知・思考の歪んだ、正常・正当・合理な判断・選択・決定能力を持たない人間であることを、くれぐれも肝に銘じ、忘れてはならない。

 自分が求めるもの・やりたいことほど、求めるべきではないもの・やるべきではないことである(反対に、自分が求めていないもの・やりたくないことほど、求めるべきもの・やるべきことである)―――と、考えておけば、まずまちがいない。






Tell Me

ジュエリー <メール送信>   2004/6/2 (水)   No.1086179117



 こんにちは。

 100円ショップで流れていたFLOWの曲が、自分の頭の中に残っていて、なんだか、いたたまれなかったので・・・。

 部屋に帰ってから、口なおしに、Mi-Keの「Tell Me」を聞きました。

 オリジナルのローリング・ストーンズのバージョンより、おちついていて、いい感じ。

 ストーンズの方も、いいのですけれどね。

 まだ、かなり若いためか、ミック・ジャガーの声がイヤラシくなくって。

 では。







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