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Message
蒼穹へ
 
 
 今日、日本の社会の中には、「終わりなき日常」を生きるきつさに、悲鳴をあげ、呻吟している人々が、数多く存在している。
 いろいろな意味で、年々「生の実存」は厳しくなっている、と思えてならない。
 みんな、どこかおかしくなっている。―――という認識・体感が、ぼくにはある。
 いたるところで、汚泥のように澱んだ狂気が、蔓延している。多くの場合、その狂気は、周囲の誰にも悟られることなく、時には本人すら気づかないまま、不協和音を奏でる肉体と精神が発する、耳には聞こえない軋み音をたて続けている。
 そして、その歪みのあかしとして、時にささやかな、時に爆発的な、さまざまな奇矯な言動、すさんだ行為、無軌道な振る舞い、などが引き起こされている。
 人々は、日常をルーティーン・ワークとして密行し、生命活動ぎりぎりのわずかな浮沈を繰り返しながら、毎日をやり過ごしている。
 「実存の危機」という言葉を、今ほど切実な響きを持って語らざるを得ない時代はないのではないだろうか?
 例えば、摂食障害といえば、以前は主に、ハイ・ティーン以上の女性の病であった。しかし、いまやこの病は、小学生の子どもたちの間にも、確実に広がりつつある。
 我々は、恐ろしく危機的な状況を迎えた時代の中で生きているのだ、とあらためて思い知らされる。衆愚の知らないところで、次々と起こる事態は、ますます深刻化し、静かに潜行している。
 そうした、時代の実相を映し出す現実に直面するとき、ぼくは恐怖感を覚える。閉塞し、矯正不可能とも思える歪みを孕んだ、この時代に生きることに怯えている。
 そして、「治癒」の手だてが永久に失われてしまったように感じてしまう、脆弱な自分が、確かに「ここ」にいるのだ。
 そのような世界の中で、自分を見失わずに生きる手だて/枠組みを、獲得・再構築する場を、ぼくは自らの手で作りたい。
 抱え込んだ病の病根は、あまりにも深く、果てしないのではないか?
 もはや、為すすべはないのではないか?
 このまま、自らの病に身をまかせて、生の終わりを迎えるしかないのではないか?
 ―――それらを確認するためにも。
 
 
佐上 令 (SLAN/Director) 
 
 
□追記
 これが、ぼくが、SLAN(1997年〜)というグループを作ろうと思った動機である。
 具体的な活動計画は、参加者の対話・議論によって、決定する。
 SLANの活動と存在を通して、参加者一人ひとりが、
 心と身体のリハビリテーションを自ら行い、
 それぞれの回復・成長の過程・場になればと願っている。
 
※ SLAN [スラン] → Social Landscape Acting Network 
 
 
(2000年早春・記) 
 
 
 
『蒼穹』 (C) SLAN