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A Brighter Summer Day
 
 佐上 令
 
 
1.手の打ちようがない
2.もう、なんどもいったじゃないか!
3.すべてもとにはもどらない
 
 
 
1.手の打ちようがない

 
 「十八歳でわたしは年老いた」という一節を、はじめて目にしたとき、その言葉の持つ意味を瞬時に、誤解しようのない明晰さで理解した、と感じた。
 そして、はっきりと悟ったのだ。ああ、ぼくもすでに年老いたのだ、と。
 
  思えばわたしの人生はとても早く、手の打ちようがなくなってしまった。
  十八歳のとき、もう手の打ちようがなかった。
  十八歳でわたしは年老いた。
(マルグリット・デュラス『愛人』より)  
 
 
 少年少女向きのいわゆる教養書の名著として、戦前に出版された、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』という本がある。
 一九六七年にポプラ社から再刊された新版を読んだのは、確か、中学校一年生の頃だ。もう、その内容はまったく覚えていないが‥‥‥。
 ただ、そのタイトルだけが、今も妙に鮮明に頭に残っている。
 いまだに、どう生きてよいのかわからないぼくにとって、今に至るも、この問いかけは切実であり、色褪せていない。
 くだらないことをやるくらいなら、何もしない方がよい。
 ―――という気持ちが、今も昔も、ぼくは非常に強い。
 ずっと、何もしないでいることが、ぼくにとって、もっとも重要なことがらだったような気がする。
 
  僕らは何かをしはじめようと
  生きてるふりをしたくないために
  時には死んだふりをしてみせる
  時には死んだふりをしてみせるのだ
(ジャックス『ラブ・ジェネレーション』より)  
 
 まず第一に、自己の欲望のありかを見極めること。
 第二に、それを獲得する手段を見定めること。
 そして第三に、その手段を実践すること。
 ―――が必要なことは、わかりすぎるほどに、わかっている。
 ぼくは、どれもが中途半端なのだ。そして、その中途半端さが、今の自分を規定しているに違いない。
 自分というものは、どうしようもなく自分なのであり、そこから離れて、あるいは無視して、いかに自己の言動を理性や論理で制御しようとしても、どこか無理は避けられず、ぎりぎりのところで破綻はまぬがれない。
 しかし、そろそろいい加減になんとかしないと、「死んだふりをしてみせ」ていたら、いつのまにやら、本当に死んでいたりしそうで、まずいな。―――とは思う。
 
 
 一九六〇年、安保闘争のさなか、二一歳で自死した岸上大作のように、「ぼくは恋と革命のために生きるんだ!」(『ぼくのためのノート』より)と思おうとしたのだが、時代の著しい変移もあり、うまくいかなかった。(自嘲!)
 
  敗北は反吐さながらに待たれいて〈よし子〉を花に埋めゆく愛
(岸上大作『意志表示』より)  
 
 岸上大作、圧倒的ではないか!
 
 あるいは、一九五九年、映画化された自己の小説『墓に唾をかけろ』の完成試写会の暗闇の中で、その心臓を停め、三九歳で急死したボリス・ヴィアンのように(彼は、生来の心臓病のため、四十歳までは生きられないと予告されていた)、
 
  かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオリンズの、
  つまりデューク・エリントンの音楽。
  ほかのものは消え失せたっていい、醜いんだから。
(ボリス・ヴィアン『日々の泡』より)  
 
 ―――などと、捨て台詞を決めたかったのだが‥‥‥。
 現実は、ことのほかシビアだ。
 ボリス・ヴィアン、カッコよすぎるではないか!
 
 
 何をすべきかなんて、本当はとっくの昔に、はっきりしているし、わかっている。
 自分に、なしうる才覚も力量もないから、できないだけのことだ。
 しかし、そうした無能な自分が現実の自分なのであり、少なくともぼくは、そうした自己を、ごまかしたり偽ったりだけは、してこなかった。―――とは思う。(自慢にもならないが‥‥‥)
 嫌でも応でも、自己の拠りどころは、そこにしかなく、そこから出発するしかないのである。
 
  奥平剛士
  これが俺の名だ
  まだ何もしていない
  何もせずに 生きるために
  多くの代価を支払った
  思想的な健全さのために
  別な健全さを浪費しつつあるのだ
  時間との競争にきわどい差をつけつつ
  生にしがみついている
  天よ 我に仕事を与えよ
(奥平剛士『天よ、我に仕事を与えよ』より)  
 
 一九七二年、テルアビブ(=リッダ)空港襲撃に参加し、イスラエル軍兵士との銃撃戦の末、文字どおり蜂の巣にされて、二六歳で「戦死」した奥平剛士の遺稿集を手にしたのは、確か、十九歳のときだ。
 その頃から、何も変わっていない自分を思うとき、安堵と焦燥の両方を感じる。
 できうるならば、拡散し、分裂した自己のあり方を見つめ直し、内部を再統合したい。
 
 そのためにはまず、自己の内部でのさらなる覚醒、そして、徹底して孤独な、荒涼たる自分と向きあい、対象化することが必要だろう。
 残された日々を駆け抜けるために、限られた時間と力量の中で、今やるべきこと/やれることはなんなのかを、推しはかっている。
 
 今あるのは、時間との競争に敗走しながら、疲れ果てているという現実のみ。
 そのような回復不可能な状況に途方に暮れ、立ちつくしている自分に、片をつけなければならない。
 これ以上、無様なさまをさらしたくない。
 
 もう、何もない。
 ぼくは、すべてを失った。
 
 
  「美しくなったね」と言われた夏の日 写真に消えて行く
(hal『SPACE NEEDLE』より)  
 
 
(1999.11.4.) 
 
 
 
 
2.もう、なんどもいったじゃないか!

 
 一九七二年六月に発表された、キング・クリムゾンの幻のライブ・アルバム(5th)『Earthbound』は、同年一月に解散を表明していたクリムゾンが、最後に行ったアメリカ・ツアー(一九七二年二月〜四月)での演奏を収録したものだ。
 (このツアー後、予告通りクリムゾンは、いったん活動を休止し、解体・解散する)
 なお、このアルバムは、当初、アイランド・レコードの廉価盤シリーズとして、イギリス国内でのみ発売された。
 (ステレオ・カセット・レコーダーによって録音され、ブートレグ並みの劣悪な音質のため、ワールド・ディストリビューション権を持つアトランティック・レコードは、リリースを見送った)
 そして、現在まで、クリムゾンのリーダー、ロバート・フリップの意思によって、いまだCD化はされていない。
 
 『Earthbound』は、クリムゾンの代表曲である『21st Century Schizoid Man』の激烈な演奏で幕を開ける。
 その演奏をつらぬく、息をのむような張りつめた緊迫感は、聴く者に寒気をもよおさせる。
 そして、同アルバムに収録されたインプロヴィゼーション(即興演奏)曲『Peoria』の中で、ベース&ボーカルのボズ・バレルは、唐突にわめく。
 
  君がぼくのことをどう思っているかは、さして重要ではない。
  ぼくが君に思いを巡らせていることだけが、重要なのだ。
  It makes no difference what you think about me.
  It makes a whole lot of difference what I think about you.
 
 かつて、岩谷宏は、このアルバムを評して、「もう、かなりひどいところまできてしまって、それをきいて、ぼくはひどく安心する。ああぼくは正しい、と」と書いた。
 
  「もう、なんどもいったじゃないか! きみは死んでいる、と!」
  クリムゾンは、今や、ひっしでそうワメいているヨ。
(岩谷宏『エピタフ』より)  
 
 
 その八年後、一九八〇年一一月に発表された、P.I.L.(Public Image Limited)のライブ・ アルバム(3rd)『Paris au Printemps』。
 一九八〇年一月に、フランスのパリで行われたコンサートを収録したものだ。
 これもまた、本来なら発表されることのなかったはずのライブ・アルバムである。
 (一九八〇年後半のP.I.L.は、ベースのジャー・ウォブル脱退のため、スタジオ・アルバムの制作が行えず、ヴァージン・レコードとのリリース契約上、このライブ・アルバムを出さざるを得なかったものと思われる)
 『Earthbound』と同じく、完全な一発録りで、通常のライブ・アルバムにおいて当たり前の如く施される、演奏の修正・差し替えは一切行っていない。
 (『Paris au Printemps』は、1/2インチ・8chマルチトラック・レコーダーによって、録音されている)
 
 その覚醒した演奏は、圧倒的である。
 また、会場を覆う、殺伐とした、身を切るような寒々しい空気感が、ひしひしと伝わってくる。
 曲間に、観客の歓声はない。
 音楽雑誌に掲載された、このライブのレポートによれば、観客が騒ぎ出そうとすると、ボーカルのジョン・ライドンや、ギターのキース・レヴィンが、客席に向かって、「黙れ!」「静かにしないと、やめるぞ」と恫喝していたという。
 このアルバムの中にも、最後の曲である『Poptones』の演奏前に、ジョン・ライドンが、観客に対して、「黙れ、犬ども!」と一喝する声が収められている。
 
 一曲目に演奏されているのは、『THEME』(文字通り、P.I.L.のテーマ曲)。
 
  It doesn't matter no more.
  I wish I could die.
  I will survive.
 
 こうしたフレーズが、ノイジーでヘヴィなリフ/サウンドに乗って、執拗に繰り返される。
 そして、コーダにおいて、ジョン・ライドンが発する、「I'm all resigned.」といううめき声とともに、この曲の演奏は終わる。
 
 
 一九七九年に、橋本治は、マンガ専門誌『ぱふ』四月号にて発表した、『眠りの中へ…―――萩尾望都論』の冒頭で、こう書き記した。
 
  私達が気がついた時、世界は既に滅んでいた。
  そして、もしあなたがまだ世界は滅んでいないと思っているのなら、
  あなたはまだ気がついていない。
(「序章 すべてもとにはもどらない」より)  
 
 この年、橋本は、『もっと…光りを!!』の中でも、次のような一節を記している。
 
  世界を覆い尽していた“意味”のドームは、
  もうどこにもなくなってしまっている。
  僕達の足許で、今世界はただの廃墟でしかないんだ。
(初出『映画エロス』一九七九年一一月号/『秘本世界生玉子』所収)  
 
 ぼくは、間違っていなかった。もういいのだ───。
 ぼくは今、せめて、自分にそう言ってやりたいと思う。
 
 
 ‥‥‥世界と自分が相容れないのならば、世界か自分か、どちらかが消えるしかない。
 (自分が消えるかわりに、自分を受け入れない既存の世界の破壊を目指すのが、革命運動である)
 遅れてきたダダ少年だったぼくが、そうした現実に気づいたのは、ずいぶんあとになってからだった。
 
 
(1999.11.6.) 
 
 
 
 
3.すべてもとにはもどらない

 
 贖罪と魂の浄化をテーマにした、水樹和佳の少女マンガ『灰色の御花』を読んだのは、十六歳のときだ。
 少年時代の戦争体験によって、心が傷ついた二十歳の青年ロジェールと、自分が花だと信じる少女エリアヌの物語‥‥‥。
 
  開かれた灰色の瞳が
  あの幸福な夢を よみがえらせる
 
  「もういいのだから」
  「もういいのだから」
 
  ぼくは とけてゆく罪の音をききながら
  閉じた目の奥に 光を感じていた
(水樹和佳『灰色の御花』より)  
 
 
 鎌倉前期の歌人、藤原定家の和歌に、次のような一首がある。
 
  年も經ぬいのるちぎりははつせ山尾上のかねのよその夕ぐれ
(藤原定家『拾遺愚草』より)  
 
 十九歳の終わりに、この歌が内包する、はかりしれない絶望と諦念の世界にはじめて触れた時は、衝撃的だった。
 定家が、その言葉の魔術によって鮮やかに描き切った、その圧倒的な虚無と絶望、そして拒絶の意志の、冷たく乾いた衝迫力に圧倒され、慄然としたのだ。
 ときに達磨歌と揶揄されながら、その特異な詩才によって歌を紡ぎ続けた、定家の目には、何が映っていたのだろうか。
 
 
  藤木、と僕は心の中で呼び掛けた。
  藤木、君は僕を愛してはくれなかった。
  そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。
  僕は一人きりで死ぬだろう……。
(福永武彦『草の花』より)  
 
 福永武彦の長編小説『草の花』の主人公・汐見茂思は、このような孤独の中で、死んでいく。
 汐見の死を知らせた彼の友人に宛てた手紙の中で、夭逝した藤木の妹であり、かつての恋人だった千枝子は、こう書き記す。
 
  それにわたくしは、このわたくしとして、
  この生きた、血と肉とのあるわたくしとして、愛されたいと思いました。
  あの方が、わたくしを見ながら
  なお理想の形の下にわたくしを見ていらっしゃると考えることは、
  わたくしにはたまらない苦痛でした。
 
  あの方は夢を見て暮らすかたでございましたし、
  わたくしは現実をしか見るすべを存じておりませんでした。
 
 
 萩尾望都のSFマンガ『スター・レッド』において、主人公・星に、「あなたは、あなたのふるさとを、どこかに見つけられたの?」とたずねられたエルグは、こう答える。
 「きみをさがしてた。きみにまちがいない」と。
 
  存在していれば
  なにかが見つかるかもしれないと思った
  そして きみに出会った
  きみを独りじめし
  数千年の孤独を すべてうめたかった
 
 
 楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の『クーリンチェ少年殺人事件』(1991/台湾)をはじめて見たのは、一九九三年の冬がはじまった頃だったと思う。
 (ちなみに、『A Brighter Summer Day』は、同映画の英題)
 
 この映画は、一九六一年夏に、楊監督が当時通っていた台北の中学校で、実際に起きた事件を題材にしている。
 努力すれば、自らの力で状況を変えられると信じた、十五歳の少年・小四(シャオスー)は、世の中は変えられないと信じる同い年の少女・小明(シャオミン)に、一途に想いを寄せる。
 そして、少女に裏切られ、冷たく拒絶された少年は、下校途中の少女を、短刀で刺し殺す。
 
  あなたなら 私を変えられると?
  自分勝手ね
  私を変えたい?
  私はこの世界と同じよ
  変わるはずがない
 
 
 あの輝ける夏の日は、もう二度とやってこない。
 
  メリーベルが ぼくを忘れないでいてくれる
  たったそれだけのことが
  こんなにも 失いたくない思いのすべてだったなんて
 
  ハンプティダンプティ
  死んでしまった 白ねずみ
  くだけた ガラス
  食べちゃった お菓子
  すべて もとにはもどらない
(萩尾望都『ポーの一族/メリーベルと銀のばら』より)  
 
 
(1999.11.7.) 
 
 
 
『蒼穹』 (C) SLAN