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CPTSD/人格障害 FAQ (よくある質問)
 
 
はじめに −FAQ作成にあたって−
 
 精神障害/精神疾患や精神医療について、誤った(しかも、有害な)知識・情報や発言〜意見・主張が、インターネット上をはじめとして、あまりにも多く語られ、また、大っぴらに公表・流布されています。
 特に、インターネットが持つ情報メディアとしての影響力の大きさを考えると、その悪影響の危険性は看過できず、こうした深刻な現状には、危機感を覚えざるを得ません。
 微力ながら、多少の歯止めの一助になることを願い、正しい知識・情報へのアクセスに向けた入門ガイドをかねて、ごく基本的な事項をまとめた、平易で簡潔なFAQQ&A集)を作成しました。
 本FAQは、誤った知識・情報の是正と、正しい知識・情報の提供および啓発・啓蒙を目的として、公開します。
 (よりくわしくは、本Webサイト内の該当コンテンツを、精読・熟読してください)
 なお、こうした知識・情報は、こころない悪質な人格障害者に悪用される恐れがありますので、そうした危険性が高い部分については、細部をあえて伏せてあることを、あらかじめお断りしておきます。
 
 
 
精神医療の現場で
 
 
 
 
うつ病/診断名についての誤解
 
 
 ■ 私は、鬱病(うつ病)です。
 ■ 私は、医師に鬱病(うつ病)と言われました。
 ■ 私は、人格障害ではありません。医師の診断は、鬱病(うつ病)です。
 ■ 私は、人格障害ではありません。診断書には、「うつ病」としか書かれていません。
うつ病にかぎらず、精神科における診断・告知は、総じて絶対的・確定的なものではありません。
その多くは、さまざまな事情や状況を考慮した、暫定的・便宜的でアバウトなものにすぎないのです。
精神科において医師から下される診断名や告知内容に拘泥する(妄信・絶対視し、それらに固執する、あるいは詮索し、その真偽や信憑性にこだわる)のは、無意味かつ不毛であり、時間の無駄と言ってよいでしょう。

抑うつ症状を訴える患者に対して、精神科医は、ほぼ確実に、まずは「うつ病」と診断・告知します。
これは、あくまで、とりあえずの仮の診断・告知であり、必ずしも、あなたの障害/疾患の本当の病態に合致するものでも、本当の病名を特定し、確定診断するものでもありません。
抑うつ症状をともなう障害/疾患は、うつ病以外にも、CPTSD/人格障害をはじめとして、たくさんあります。
また、たとえ受診・治療期間が長くても、必ずしも本当の診断名や診断内容を告知されるとはかぎりません。
特に、あなたが人格障害だった場合、その旨を告知されることは期待しない方がよいでしょう。
もし、あなたが、主治医に「私は、人格障害でしょうか?」とたずねても(問いつめたりすれば、なおさら)、大半の精神科医は、「いいえ」としか答えません。
精神科医のことばを鵜呑みにし、真に受けて、「自分は、鬱病(うつ病)」と安易に思い込んではいけません。(他の病名の場合も、同様)
正しい病識のないところに、回復などないことを、肝に銘じましょう。

うつ病と人格障害では、治療や回復の方法が、まったく違います。
人格障害の場合、自助努力による人格的成長のないところに、回復もありません。
長期間にわたって、抗うつ薬の投与などのうつ病治療を受けながら、寛解・回復に至らない場合、あなたが人格障害である可能性は高いと言えるでしょう。
あるいは、主治医の助言・指導に従わず、自分勝手な判断で強引に、学校や職場に社会復帰してしまう(しまえる)ような場合も、同様です。
自分に甘く、診断名を疾病逃避・疾病利得に利用し、障害/疾患を楯に、自分の特別扱いを要求するようであれば、人格障害とみなしてよいでしょう。

なお、あまり知られていませんが、こころ(脳)を治療対象とし、主に面接・問診によって診断が下される精神科は、他の診療科と比べても、どうしても誤診が多くなる傾向にあります。
これには、他の診療科のように、臨床検査によって、患部・病変部を確認できない、客観的指標となる、具体的な数値データや画像データ(いわゆる「検査データ」)を得られない(一部の障害/疾患をのぞく)、―――など、やむを得ない側面もあります。
また、診察室の中での短時間の問診〜会話・やりとりだけでは、ごくかぎられたわずかな限定的・断片的情報しか得られません。(患者も、必ずしも本当のことを正直・正確に言うとはかぎらない)
生育歴や実生活にまで立ち入っての治療は困難(事実上、不可能)であり、寛解・回復に向けての総合的・全人的な対応も処置もできません。
こころや人格という、人間の存在そのものとも言える部分をむしばむ障害/疾患に対し、精神科の臨床現場・診療においては、診断にしろ治療にしろ、自ずから限界があると言ってよいでしょう。
 ■ 私は鬱病(うつ病)なのに、周囲は理解しようとせず、優しくしてくれません。
 ■ 親からの虐待や、学校・職場でのいじめで、鬱病(うつ病)になりました。
 ■ 他者へ、強い怒りや恨みの感情を持ったり、ぶつけたりすることがあります。
うつ病者の心理は、本来、自責的・自罰的なものです。
ときに、他責的・他罰的になる人、易怒的・攻撃的になる人は(たとえ、日頃は自責的・自罰的で、おとなしくても)、うつ病ではなく、他の障害/疾患を疑った方がよいでしょう。
他責性・他罰性、易怒性・攻撃性の有無などが、同じように抑うつ症状を訴える、通常のうつ病者と非うつ病者(その他の病者)をわかつ相違です。
 ■ 気分・感情の変化や起伏が、激しい方です。
 ■ ときに、衝動的に行動してしまいます。
うつ病者は、本来、慢性的な抑うつ症状により、感情が平板になります。
ごく短い周期(数日、あるいは数時間)で、気分の浮き沈みが起こり、抑うつ感・抑うつ状態の変化や起伏が激しい人、衝動的な行動が見られる人は、うつ病ではなく、他の障害/疾患を疑った方がよいでしょう。
気分・感情の易変性〜変化や起伏の激しさ、衝動性、行動化(acting out)の有無などが、同じように抑うつ症状を訴える、通常のうつ病者と非うつ病者(その他の病者)をわかつ相違です。

なお、気分・感情の易変性〜変化や起伏が激しく、衝動的で、行動化を起こすなど、どう見ても(素人目にも)うつ病に見えない場合、「躁うつ病(双極性障害)」や「非定型うつ病」を自称・詐称する人格障害者もいます。
そうした人格障害者は、主治医から、「躁うつ病(双極性障害)」や「非定型うつ病」の診断や同意を引き出していることも、めずらしくありません。

※行動化(acting out)の一例
  • 自傷行為、オーバードーズ、自殺企図、性的逸脱行動、過食・拒食、浪費・蕩尽、窃盗、違法薬物の摂取、過度の飲酒など。
  • 多くは、嗜癖/依存症に移行する。
 ■ 私は、○○○という抗うつ薬を処方されているので、鬱病(うつ病)です。
 ■ 私は、△△△という抗精神病薬を処方されているので、統合失調症です。
自分が処方されている薬剤の商品名をインターネットなどで調べ、その情報を鵜呑みにし、また根拠にして、「自分は○○病」と思い込んだり主張する人がいますが、それはまったくの見当違いです。
向精神薬は、汎用性があり、さまざまな症状・病態に合わせて、多用途・多目的に処方されるものです。
 
薬の服用
 
 
 ■ 薬の量が多いので、処方薬を減らしてほしい。
 ■ 薬の効果が強すぎるので、処方薬を減らして(変えて)ほしい。
 ■ 副作用が苦しいので、処方薬を減らして(変えて)ほしい。
 ■ 薬が効かないので、処方薬を増やして(変えて)ほしい。
まずは、主治医に、その旨を申告・相談してみましょう。
それでも、減薬・増薬や代替薬への変更といった対応・処置が行われない場合、現在の処方が、あなたには適切かつ必要と判断されたということです。
 ■ 向精神薬を服用したくありません。
 ■ 処方された薬を、指示どおりにきちんと服用していません。
向精神薬(特に、抗精神病薬)を服用する気がない、あるいは、指示どおりに服用しないのであれば、あなたには精神科を受診する必要はありません。
 ■ 医師が、希望の薬を処方してくれません。
処方された薬を服用する気がない、あるいは、指示どおりに服用しないのであれば、あなたには精神科を受診する必要はありません。
 
医師との関係
 
 
 ■ 医師が、話を聞いてくれません。
あなたは、医師に、どのような話を聞いてほしいのでしょうか?
精神科医は、原則として、精神療法家ではなく、薬物療法家です。
したがって、これもまた原則ですが、彼らが患者から聞きたいのは、基本的に、薬の処方に必要な症状の説明と、処方薬の服用による症状の変化だけです。
自分の話を聞かせるのではなく、まずは、積極的に助言・指導を求めましょう。
もしかしたら、有益な助言・指導が得られるかもしれません。
 ■ 診察時間が、他の患者に比べて短すぎます。
あなたは、何が不満なのでしょうか?
患者によって、対応が違うのは当たり前のことです。
診察時間が短いことによって、何か具体的な不都合・不利益がありますか?
 ■ 医師と話していても、気分が晴れません。
 ■ 医師の話し方や態度が、優しくありません。
 ■ 医師の話し方や態度が、気に入りません。
あなたは、精神科医や精神科/医療機関に、何を求めているのでしょうか?
精神科医や精神科/医療機関は、あなたの愚痴を聞いたり、ご機嫌をとるための人間や場所ではなく、治療を行う人であり、ところです。
 ■ 医師のこころないことばに、傷つきました。
精神科医は、どのような意図や真意で、そうしたことばを口にしたのでしょうか?
感情的にならずに、その意図や真意を、よく考えてみましょう。
もしかしたら、せっかくの有益な助言・指導を無駄にしているかもしれません。
 ■ 医師との相性が悪いので、転院したい。
自分の評価や判断を、あまり信用してはいけません。
患者の評価や判断は、(その認知の歪みや無知ゆえに)往々にして誤っているからです。
精神科医の対応や態度に、どうしても、納得できないというのであれば、きちんとした判断能力のある第三者に、診察に立ち会ってもらい、判断してもらいましょう。
もちろん、この場合の第三者として、最初からあなたの側に立っている人(すなわち、公正・公平な判断を期待できない人。たとえば、あなたの家族や友人など)や、精神医療についての正しい知識・情報(および、相応の経験)を持たない人が不可なのは、言うまでもありません。
また、より基本的な問題として、医師選びにもっとも重要な観点、評価・判断基準は、「力量」であって、「相性」ではないことに留意すべきでしょう。
 ■ 医師や病院についての評判を、患者同士で情報交換しています。
患者による情報を、あまり信用してはいけません。
患者の評価や判断は、(その認知の歪みや無知ゆえに)往々にして誤っているからです。
 ■ 医師に、診療を拒否されました。
医師/医療機関が、患者に対して診療拒否を行うのは、よほどのことです。
あなたは、精神科医から、自分の手に負えない人格障害者と見なされたのかもしれません。
 
カウンセリング/サイコ・セラピー(精神療法)
 
 
 ■ カウンセリングを受けたい。
 ■ カウンセリングは、有効でしょうか?
精神科医の多くは、臨床現場・診療において、精神療法を用いず、薬物療法中心の治療を行っています。
(精神療法を修得し、駆使できる技能や経験を持つ精神科医自体、ほとんどいないと言ってよいでしょう)
彼らの多くは、精神療法が必要な患者/クライエントに対して、その提供のための橋渡し/コーディネートを、あまりしようとはしません。
もっとも、CPTSD/人格障害に対応できる精神療法家(サイコ・セラピスト)そのものが、きわめて少ないのも事実です。
CPTSD/人格障害の治療には、単なる支持的精神療法ではなく、高度な力動的精神療法や認知行動療法が必要です。
受容・共感を中心に、クライエント自身による自主的な問題解決を目指す(そのためには、クライエント自身に問題解決能力が備わっていることが、前提になる)クライエント中心療法は無効であり、いわゆるカウンセリング/カウンセラーの手に負えるものではありません。
ちなみに、力動的精神療法〜本格的な精神分析治療と呼びうるものは、国際精神分析学会(IPA)による定義では、1回45〜50分の治療面接/セッションを、週に4日以上、定期的に継続して行うもの(通常、数年以上にわたる)とされています。
ちまたで行われているカウンセリングなるものが、いかに実効性に乏しい、ままごとレベルの戯れ事か、この一点だけ見ても明らかでしょう。
 ■ オンライン・カウンセリングは、有効でしょうか?
インターネット上で行われる、(主に、Eメールやチャットを利用した)お手軽な「オンライン・カウンセリング」など、まったく無効であり、なんの役にも立ちません。
それどころか、場合によっては(オンライン・カウンセリング/オンライン・カウンセラーの質は、総じて低い)、病の固定化・悪化をもたらします。
 ■ ピア・カウンセリングは、有効でしょうか?
ピア・カウンセリングの大半は、ピア・カウンセラーと称する未回復の障害当事者(回復者を自称・詐称する、未回復者も多い)によってなされています。
正しい知識・情報や助言・指導を得られないばかりか、共依存/イネイブリング(助長)関係を生みやすいなど、非常に危険なものであり、病の固定化・悪化をもたらすだけです。
ピア・カウンセリングを標榜する人物・団体には、関わらない方が安全であり、賢明です。
 
軽度発達障害
 
 
 ■ 私は、アスペルガー症候群かもしれません。
 ■ 私は、ADHDかもしれません。
 ■ 私は、アスペルガー症候群と診断されています。
軽度発達障害については、専門医(多くは、児童精神科医)も少なく、成人後の確定診断は、困難です。
専門医ではない医師による診断は、信頼性が低く(誤診も多い)、問診で、患者の言い分だけを聞いて、安易に診断書を出す医師もいるなど、注意が必要です。
複数の心理検査の実施なし。母子手帳や通信簿を用いた/家族からの聞き取りによる生育歴の確認なし。―――などの場合も同様です。
患者の要望に合わせたり、人格障害と診断したくないために、発達障害と診断書に書く医師もいます。
うつ病と診断を受けている患者の中には、多くの人格障害者が紛れ込んでいますが、成人後に軽度発達障害と診断された患者の中にも、人格障害者が紛れ込んでいるということです。(うつ病の場合と同様、発達障害を楯に、自分の特別扱いを要求する人物は、要注意)
自分は軽度発達障害ではないかと自己診断し、そうした診断を求めて、医療機関を受診する成人の多くが、実は人格障害者であるという事実は、知っておいて損はないでしょう。
 ■ 人格障害と軽度発達障害が併発することはありますか?
人格障害者の中には、幼児期より、注意欠陥多動性障害(ADHD)/注意欠陥障害(ADD)や学習障害(LD)、広汎性発達障害(PDD)/自閉症スペクトラム障害(ASD)を発症・併発している人間も存在します。
人格障害と軽度発達障害との関連性は、人格障害であるならば、軽度発達障害ではない、軽度発達障害であるならば、人格障害ではない、というような一意的・偏倚的なものでは、必ずしもありません。
人格障害でありながら、軽度発達障害の特性を併せ持つ人物もいますし、その逆もまたしかりです。
併発している場合、人格障害と診断されるか、軽度発達障害と診断されるかは、担当医師の恣意的な判断に過ぎません。
もちろん、「あなたは併発している」と、より正確な診断を下す医師も少数ながらいるでしょう。
近年は、併発者はもとより、人格障害者に対しても、人格障害ではなく、軽度発達障害と診断される場合が多いと考えておいてください。

※主な軽度発達障害
  • 広汎性発達障害 (PDD)/自閉症スペクトラム障害(ASD)
    アスペルガー症候群 (AS) /高機能自閉症
    特定不能の広汎性発達障害 (PDD-NOS)/非定型自閉症
  • 注意欠陥多動性障害 (ADHD) /注意欠陥障害 (ADD)
  • 学習障害 (LD)
 ■ 発達障害の改善に、精神療法は有効ですか?
 ■ 発達障害の改善に、何か有効な方法はありますか?
発達障害に起因する認知の歪みや問題行動を修正・矯正する方法として、精神療法の予後は不良であり、ほぼ無効で有意な効果は期待できません。
それらの改善には、精神療法ではなく、ABAApplied Behavior Analysis/応用行動分析学)やSSTSocial Skills Training/社会生活技能訓練)のような具体的かつ環境適応型の教育と訓練を、長期にわたって継続して受けましょう。
逆説的に言えば、精神療法の予後が比較的良好な患者は、発達障害ではなく、後天的な発達・環境要因によって不適応を起こした疑似発達障害の可能性が高いということです。
 
 
回復・成長に向けて
 
 
 
 
 全般 
 
 
 ■ CPTSD/人格障害から、どうすれば回復できますか?
 ■ CPTSD/人格障害からの回復には、何が必要でしょうか?
自分では問題があることに気づいていない、自分の未成熟な人格や歪んだ認知、思考・行動のパターンを、修正・矯正しなければなりません。
自分の抱える問題に気づき(自覚化)、向き合い(直面化)、そうした内省・省察の過程を通した自己対象化によって、人格的成長〜自己変革を果たすことが必要です。

まずは、何よりも、自分の人格が未成熟で、認知や思考・行動のパターンが歪んでいるという事実を理解・受容し、自覚・認識する(=正しい病識を持つ)こと。
(大半の人が、ここでつまずき、回復・成長への道を、自ら閉ざしています)
現在の自分を、理性的・論理的・批評的に、きびしく徹底的に見つめ直し、自省・自己批判すること。
欲望・欲求や情動・衝動を自制・抑制し、自らを律する・御する能力〜自己コントロールの思想と方法を身につけ、実践すること。
―――から、はじめなければなりません。
そのためには、自助努力として、きびしい自己修練〜学習と訓練が必要です。

自分の抱える問題への自覚化/直面化を忌避し、自分自身に問題があることを否認・否定し、現実逃避し続けるかぎり、回復・成長への道は、けして開かれません。
なお、自分の自己評価や判断(「わかっている」「できている」つもり)は、信頼するに値せず、なんの担保にもなりません。
それが、認知の歪みの歪みたる所以です。

我が身を省みず、自らの非を認めず、他責・他罰・被害者意識にまみれ、耳の痛い話からは耳をふさぎ、他者からの指摘や注意、批判には耳を貸さない。(それどころか、しばしば逆ぎれをもって応酬・反撃する)
自分にとって都合のよい話だけをつまみ食いし、身勝手な屁理屈や詭弁をこね、誤った的はずれな言い訳〜自己弁護や自己合理化/正当化を弄する。
自己の無謬性を信じて疑わず、幼児的全能感に溺れる。
自己憐憫と他者依存心を垂れ流し、他者に際限のない受容と共感を要求する。
生育過程で醸成され、心身に染みつき固着した歪んだ認知と自己愛。
不合理な信念や、未熟で未制御な感情・欲望。
わがままで、自己中心的・独善的・短絡的・刹那的・功利的な思考・行動様式。
なりふりかまわない、あくなき常軌を逸した強い自己顕示欲や承認欲求。
自分を特別視し、自画自賛にうつつを抜かし、他者を見下しないがしろにしてはばからない、増長した尊大な選民意識。
真摯で本質的な向上心に欠け、見栄や虚勢を張って自分を粉飾することにばかり執心し、その実、浅薄で空疎な内面とお粗末な知識や能力。
権威主義で社会的地位や肩書き、名声に拘泥し、通俗的価値観にまみれた俗物性。
自分の不遇な現状に身勝手な不満を抱き、他者をうらやみ逆恨みする、ねたみそねみや理不尽な怒り。
それらがもたらす、不適切で問題のある生活態度や生活習慣、言動。そして、失敗。
こうした自身の未熟で愚かなありようを、あらためることなく繰り返しているうちは、回復・成長などできないことを、肝に銘じましょう。

自分にとって都合・耳あたりのよい言葉、自分にやさしい・甘い言葉を求め、耳を貸し、真に受けてはいけません。
そうした甘言のたぐいは、あなたを釣り、惑わし、踊らせ、溺れさせるだけです。
あなたの問題点を黙認・容認、さらには受容・共感・支持するような人物、あなたを甘やかし手を貸す共依存者/イネイブラー(助長者)からは、必ず意識的に距離を置き、可能であれば一切の関係を絶ちましょう。
 ■ CPTSD/人格障害から回復するには、どんな環境が必要ですか?
自己コントロール能力が不足・欠如した人格障害者が回復・成長するためには、さまざまな欲望・欲求や情動・衝動を抑える自己修練〜学習と訓練が必要であり、まずは、そうした自己修練を試行・実践できる環境を整えることが必須・不可欠です。
アルコール依存症を克服する唯一の方法が生涯を通しての断酒であるように、甘えや依存心を捨て、自らの欲望・欲求を断ち切らなければなりません。
未成熟で歪んだ自己愛や幼児的誇大感・全能感、自分の尊大さ・身のほど知らずさや欲心の強さを、自覚化・直面化〜反省・自己批判し、我執や我欲・俗欲を捨てたストイックな思想・生活スタイルを厳守しましょう。
 ■ CPTSD/人格障害は、薬で治りますか?
薬物療法〜処方薬の服用は、周辺症状の抑制や緩和には有効ですが、それだけでは、本当の寛解・回復には至りません。
服薬は、回復・成長に向けて必要な、さまざまな自助努力・自己修練に取り組むための気力・体力や精神状態の安定などを準備するパーソナル・リソース作りの一環ととらえるのがよいでしょう。
 ■ CPTSD/人格障害は、精神科への通院や入院で治りますか?
CPTSD/人格障害は、原則として、日本の精神医療の枠外に存在する(埒外に置かれた)障害/疾患であり、治療対象とはなっていません。
(治療対象とされておらず、また、治療自体もできないということです)
もっとはっきり言えば、精神医療から忌避され、治療対象から排除された、不可触な障害/疾患です。
だからこそ、あなたが精神科医に告知される診断名は、往々にして、「人格障害」ではなく、「神経性うつ病」「心因反応」「非定型うつ病」「双極II型障害」「摂食障害」「不安障害」「パニック障害」「○○依存症」など(その他、さまざまな周辺症状に対する診断名)なのです。
CPTSD/人格障害者にとって、それらの周辺症状は、二次障害/二次疾患にすぎません。
そうした、CPTSD/人格障害者が発症するさまざまな二次障害/二次疾患の中で、もっとも重篤かつ深刻なものとして、解離性同一性障害(DID/いわゆる多重人格)があります。
(多くの精神科医や患者自身が、そうであるように)周辺症状にしか目を向けず、その治療のみを考え、求めているあいだは、ことの本質に迫った、本当の寛解・回復も、抜本的な問題の改善・解決も、ありません。

精神医療は、薬物療法(場合によっては、加えて、少々のカウンセリング)によって、せいぜい周辺症状の抑制・緩和に寄与するのみであり、それは、やむを得ないことです。
精神医療に、それ以上のものを期待してはいけません。
(もし、人格障害を治せるなどと豪語する精神科医がいたとすれば、それは、かなり眉唾ものの人物であると判断して差し支えないでしょう)
ただし、診断や投薬、入院処置など、医療行為に関する公的権限・裁量は、医師の専権事項のため、回復・成長作業に取り組むにあたっては、彼らのサポート、彼らとの連携は、ときに不可欠になります。

医療機関は、教育機関ではありません。
少し考えれば、すぐにわかることですが、医療行為では、周辺症状を抑制・緩和することはできても、CPTSD/人格障害の本質・根本原因である、人格の未成熟さや認知の歪みを修正・矯正して、人格的成長〜自己変革へと導き、問題を抜本的に改善・解決することはできないのです。
本当の寛解・回復に至るためには、CPTSD/人格障害についての正しい知識・情報(および、相応の経験)を持つ自助グループに参加し、その下で、人格的成長〜自己変革のための自助努力に励むしかありません。

まちがっても、きちんと病識を持って、自分の抱える問題への理解を深め、改善や回復・成長作業に取り組むためではなく、疾病逃避の口実や疾病利得の獲得、自身の問題を精神疾患/障害の診断によって合理化/正当化することを意図して、精神科を受診し、診断を求めてはいけません。
精神疾患/障害の診断名は免罪符ではない・免罪符にしてはならないということを、肝に銘じましょう。
 ■ 自助グループに、よい悪いはありますか?
参加者間の受容・共感を、その活動の主目的とした従来型の自助グループは、それなりに存在しますが、参加者が真の回復・成長に至りうる、教育機能を持った専門性の高い本格的な自助グループは、今のところ、ごく少数しか存在せず、皆無に近いと言ってよいでしょう。
もし、あなたが、そうした自助グループに運よく巡り合えたとしたら、それは僥倖であり、何よりの幸甚と思わなければなりません。

自助グループに参加するにあたっては、参加者を甘やかすばかりで、共依存/イネイブリング(助長)関係の温床と化している、自助グループとは名ばかりで、およそかけ離れた、まがいものの自称・自助グループ/エセ自助グループも、多数存在するので、注意しなければなりません。
自助グループを僭称しながら、耳あたりのよい甘い言葉を囁き、参加者を甘やかすようなグループ、参加者間の共依存/イネイブリング(助長)関係に注意を払わず放置し、きびしく対応・対処しない(それどころか、悪びれることなく馴れ合い・傷のなめ合いに終始し耽溺する)ようなグループからは、ただちに、その下を離れ、去るべきです。
 ■ 自助グループに、限界はありますか?
重症者(人格障害度の高いCPTSD者/重度の人格障害者)を、寛解・回復に向けて成長させるためには、自助グループへの参加だけでは不十分です。
重症者は、病識や忍耐力の欠如(あるいは、不足や誤り)などにより、そのままでは持続的・継続的に、上記のような自助グループに参加し、その中での回復・成長作業に取り組むことができません。
重症者に関しては、まず第一段階〜自助グループへの参加に耐えうるようになるための下準備として、CPTSD/人格障害についての専門性を有した、しかるべき入所更生保護施設で、強制的に再教育することが必要になります。
(もっとも、そうした施設は、現在の日本には、残念ながら存在しません)
 ■ 私は、依存症ではありません。
嗜癖(addiction)/依存症(dependence)は、否認の病であり、本人に自覚がないのが一般的です。
もし、あなたが、嗜癖/依存症についての知識や経験のある人から、依存症ではないかと指摘・教示されたら、否認・否定や反発せずに、素直に受け入れた方がよいでしょう。
どうしても違うと言いたいのであれば、あなたが依存していると指摘・教示された対象すべてに対して、たとえば一年間、実際に身を離していられるかどうか、試してみることです。
そうした場合、やっかいな問題の一つとして、依存行為をあらたな別の依存対象にシフトさせてしまうのが常なので、その点にも留意しなければなりません。
第三者による、きびしいチェックが常に必要です。
 ■ 年をとると、人格障害がよくなると聞きました。
「人格障害は、年齢とともに軽快する」という話は、加齢・老化にともなう人格障害者自身の生命活動力の低下や、経年ごとに誰からも相手にされなくなっていくことによって、まま見受けられる、みかけの言動が落ち着き、おとなしくなる現象を示唆したものです。
加齢によって、人格障害の根幹をなし、本質・根本原因である、人格の未成熟さや認知の歪み、問題を抱えた思考・行動のパターンそのものが、修正・矯正されるわけではありません。
自助努力なしに、加齢のみによって、人格障害から回復・成長することはできないのです。
まちがっても、こうしたあいまいな言説を、一知半解の知識で自分に都合よく解釈し、甘い考え、安易な楽観や希望的観測、自助努力の忌避・怠慢・不実行の言い訳に利用してはいけません。
 ■ 私は人格障害から回復しました。
 ■ 医師/カウンセラーから、「あなたの人格障害は完治した」と言われました。
自分の評価や判断を、あまり信用してはいけません。
あなたの評価や判断は、(その認知の歪みや無知ゆえに)往々にして誤っているからです。
自分に甘く、自己分析・批評能力の低いあなたの自己診断は、信頼するに値しません。
医師やカウンセラーの言葉についても、自分の都合のよいように誤った解釈をしている可能性が高いと言わざるを得ません。
安易で無思慮・軽率な評価や判断を自戒し、自分の認知の歪みや無知をもっときちんと自覚して、肝に銘じましょう。
 
インターネット
 
 
 ■ 障害当事者が発信する情報から、学んでいます。
 ■ 障害当事者の、経験にもとづく情報は、共感でき、とても参考になります。
人格障害者自身によるWebサイト(あるいは、Weblogなど)の中で語られる、人格障害についての説明や回復方法は、(ごく一部の例外サイトを除いて)的はずれで誤っていることが多く、信用するに値しません。
その内容は、人格障害者に回復・成長をもたらすどころか、妨げ、病を温存させて、その固定化・悪化をもたらすものでしかなく、百害あって一利なしです。
うつ病・その他の人格障害以外の障害/疾患を自称・詐称する人格障害者によるWebサイトについては、言うまでもありません。
なお、未回復の障害当事者(回復者を自称・詐称する、未回復者も多い)の、経験にもとづくと称する発言〜意見・主張は、症例研究のための情報・資料としてはともかく、回復への概念論・方法論としての価値はなく、参考にはなりません。(また、してはならない)
 ■ インターネット上での、障害者仲間や理解者との暖かい交流が救いです。
 ■ インターネット上で出会う人々の優しさに励まされ、癒されています。
インターネット・コミュニティでの人格障害者の交流=馴れ合い・傷のなめ合いは、共依存/イネイブリング(助長)関係の一形態に他なりません。
病の固定化・悪化をもたらすだけであり、百害あって一利なしなので、止めなければなりません。
インターネット・コミュニティでの人格障害者の交流は、必然的に馴れ合い・傷のなめ合いに陥らざるを得ず、関係嗜癖を誘発・悪化させるものでしかないことを、肝に銘じましょう。
あなた自身は、回復の一助になっていると考えているでしょうが、それは誤りであり、そうした行為は、不適切で誤った自己治療の試みの一つにすぎません。
特に、チャットやネット・ゲーム、SNSBlog(ブログ)/Micro-blogging(ミニブログ)のようなサービスは、(関係嗜癖を煽るなど)嗜癖性が高く、格好の嗜癖対象になりやすいので、危険です。
人格障害者は、手を出してはいけません。
コミュニケーションとは名ばかりの独善的・利己的な欲望の表出、自意識過剰で自己顕示欲まみれの浅ましく醜悪な自分語りや自己アピール、愚にもつかない妄想や独り言の垂れ流しなどの振る舞いは、まやかしの自慰的行為にすぎません。
それらを、あたかもポジティブな価値や意味のあるコミュニケーション行為であるかのように錯覚し、自己満足・自画自賛・現実逃避の手段として利用しながら、コミュニケーションの名を騙ること自体が欺瞞に満ちた誤謬です。
欲求不満の安易なはけぐちとして、愚痴や不平不満をまき散らす道具とする行為が、愚行であることは言うまでもありません。
 ■ インターネット上での活動で、自分に自信を持てるようになりました。
 ■ インターネット上での活動で、自尊感情や自己信頼を取り戻せた気がします。
インターネット上で、あなたが、自分の欲望・欲求にまかせて、自分に都合よく作り上げる(都合が悪くなると、ハンドルを変更し、WebサイトやWeblogを閉鎖・移転するなど、安易にリセットを繰り返す)、自戒・自律/自制・自省を欠いた仮想(virtual)人格は、あなたの自己顕示欲や自己陶酔欲、承認願望(見栄・虚栄心・功名心)などの幼稚で過剰な自意識を満たし、未成熟で歪んだ自己愛や幼児的誇大感・全能感を温存・肥大化させるだけです。
そこで得られる「自尊感情」や「自己信頼」、総じて「自信」と称するものは、本当の自尊感情/自己信頼と呼べるものではなく、未成熟で歪んだ自己愛や幼児的誇大感・全能感がもたらす、人格的成長の裏づけを欠いた、単なる空疎な虚妄にすぎません。
 
恋愛・結婚・出産
 
 
 ■ さみしさや不安でいっぱいです。恋人が欲しいです。
 ■ 恋人ができると、人格障害がよくなると聞きました。
 ■ 結婚したい相手がいます。
 ■ 子どもが欲しいです。
人格障害は、人間関係/関係性の病でもあり、関係嗜癖をともなう障害です。
人格障害者にとって、恋愛や結婚は、他者への依存願望・欲求を満たすための依存行為/現実逃避行動でしかなく、回復・成長をもたらすどころか、いたずらに恋人や配偶者への依存性を高め、関係嗜癖の増悪を招くなど、病の固定化・悪化をもたらすだけです。
人格障害者の恋愛や結婚は、共依存/イネイブリング(助長)を基本型とする関係嗜癖しか生みません。
相手もまた、病んだ関係嗜癖者/人格障害者であることが多く、その場合の結末は、共依存/イネイブリング(助長)関係の成立による、いわゆるボーダーライン・カップルが誕生するだけです。
恋人や配偶者という依存対象の獲得によって、思考停止を促進し、回避・否認を強化し、回復・成長に不可欠な、自覚化/直面化への動機づけや機会をさらに遠ざけ、失わせるなど、ネガティブな側面のみがともない、よいことは一つもありません。
また、人格障害者が、家庭を持ったり、子どもを作る/育てるのは、あらたな機能不全家族や子どもへの虐待/子ども虐待の犠牲者・加害者を生み出し、子どもの心身を傷つけて、次世代まで、病の世代間連鎖を持ち込み、病を再生産することを意味する(つまり、取り返しのつかない事態を招く)、無思慮・無責任な愚行です。

なお、恋愛や結婚にかぎらず、なんらかの依存対象の獲得によって、精神状態が安定化し、上辺の周辺症状が抑制・緩和するという現象自体は、よく見られます。
ただし、これは、たとえばアルコール依存症者が、酒を飲み続けることによって、精神状態の安定化を図るのと同様の、不健全な現象にすぎず、けして好ましいことではありません。
あなた自身は、回復の一助になっていると考えているでしょうが、それは誤りであり、そうした行為は、不適切で誤った自己治療の試みの一つにすぎません。
レベルの低い治療者・援助者の中には、こうした真の回復・成長とは無関係でほど遠い、周辺症状の抑制・緩和をもって、「恋愛や結婚は、回復に有効」などと、でたらめで無責任な発言を平気で口にする者もいるため、注意が必要です。

こうした道理を理解し受容できれば、自分がどうすべきか、答は、自ずから明らかでしょう。
もし、あなたが、こうした道理を理解し受容できないとすれば、それは、あなたの認知の歪みが現時点において、修正・矯正されていないことを示す、端的かつ明白な証左です。
未回復・未成長の人格障害者が、恋愛や結婚、出産、子育てをするなど、とんでもないこと/やってはいけないことであり、絶対に避けなければなりません。
(人格障害者にとって、恋愛や結婚、出産、子育ては、百害あって一利なしであり、絶対禁止であることは、いくら強調しても、強調しすぎるということはありません)
そうした行為は、自らの回復・成長を妨げ、病の固定化・悪化をもたらすとともに、他者をも巻き込み、他者や社会にも悪影響を及ぼす禁忌であり、無思慮・無責任な愚行でしかありません。
人格障害者としての自覚がある人間は、自らの回復・成長のためにも、その理と事実を理解・受容し、疑問の余地なき当然の選択として、自らそうした行為を避ける意志と覚悟を持たなければなりません。
 
ボランティア・その他
 
 
 ■ ボランティアになって、人の役に立ちたいです。
 ■ 自分と同じ悩み・苦しみを持つ人の相談相手になりたいです。
 ■ これまでの経験を生かして、カウンセラーになりたいです。
 ■ 自分の才能を生かして、○○になりたいです。
あなたがなすべきことであり、あなたに必要なのは、何よりも、正しい病識を持つこと、そして、自覚化/直面化作業を忌避することなく行い、回復・成長のための自助努力に取り組むことです。
こうした過程を経ないかぎり、回復・成長は、なし得ません。
自分の抱える問題を回避・否認し、糊塗・隠蔽・矮小化して、「ボランティアになりたい」「カウンセラーになりたい」「○○になりたい」などと、安易で現実逃避的な発想や志向・志望、考えを持ってはいけません。
それらは、あなたの自己顕示欲や自己陶酔欲、承認願望(見栄・虚栄心・功名心)などの幼稚で過剰な自意識を満たし、未成熟で歪んだ自己愛や幼児的誇大感・全能感を温存・肥大化させるだけです。
自分の問題を棚に上げて、他者にかまおうとしたり、(往々にして誇大感・全能感にもとづいた)妄想に耽るのは、現実逃避にすぎません。
そうした現実逃避にかまけ、身をやつしているかぎり、それによって、自ら回復・成長の機会を閉ざし、奪っているということに、気づくべきです。
まずは、そうした考え違い・誤りを理解し、自分の人格の未成熟さ、認知や思考・行動パターンの歪みに対して、自覚化/直面化することです。
陳腐な現実逃避を画策し、耽溺している場合ではありません。
寝言や世迷い言は慎み、よけいな雑念は捨て、自らの回復・成長作業に集中し、専念しなければ、回復・成長へのきびしい道のりは、とうていおぼつきません。
 
 
その他
 
 
 
 
人格障害者への対応(一般向け)
 
  ▽以下の記述には、人格障害者自身にとっても、重要な内容を含んでいます。
 
 
 ■ 恋人 or 配偶者(妻・夫)が、人格障害なのですが、どうすればよいでしょうか?
ただちに別れ、一切の関係を絶ちましょう。(あなたのためだけではなく、相手のためにも)
人格障害者は、あなたの手に負える相手ではありませんし、彼らの抱える問題は、あなたの手に負えることがらでもありません。
自分の力でどうにかできると思うのは、無思慮・無分別な甘い考え、身のほど知らずな思い上がりであり、大きな勘違い・間違いです。
自分の非力・無力を自覚し、あきらめて、いさぎよく身を引くことです。
まちがっても、相手をかばい、かまい、世話を焼く、果ては献身的に奉仕するなど、自身の救済者願望・幻想を刺激され、溺れてはなりません。
現実を直視しようとせず、現実を受け入れることを拒否して、別れられない理由をくどくどと思いつくかぎり並べ立て、現状維持を望む・相手に執着するような現実逃避はやめましょう。

相手にとって、あなたの存在は、共依存/イネイブリング(助長)を基本型とする関係嗜癖の対象でしかありません。
そうした関係嗜癖の対象にしかなり得ない、あなたの存在は、(あなた自身の思惑や感情がどうであれ)相手の回復・成長を阻害し、なんら寄与しない(病の固定化・悪化をもたらすだけ)という事実を肝に銘じましょう。
また、万一、すでに子どもがいる場合、そのままでは、子どもの心身に多大な悪影響・害悪を及ぼし、被害・危害を与えることは避けられません。(さまざまな形での共依存や虐待の発生のみならず、歪んだ認知や規範・価値観、思考・行動パターンの刷り込みなど)
その結果もたらされる不幸な結末の一つは、機能不全家族の中での、子どもの人格障害者化という、悲惨な負の世代間連鎖です。
躊躇し、ずるずると関係を続けるような無思慮・無分別で無責任な愚行は、厳に慎み、一刻もはやく決断すべきです。
もし、あなたが人格障害者と別れられないとすれば、あなた自身も、共依存者/イネイブラー(助長者)にすぎず、問題を抱えている証左に他なりません。
他者にかまうのをやめ、自分の問題と向き合いましょう。
(もし、両者がそれぞれに自助努力に励み、回復・成長の道をたどれば、双方の希望により、十年後、あるいは二十年後に、再会できる可能性はあります)

子どもがいる場合の対応について、さらに踏み込んで―――。
もし、あなた自身も人格障害であり、子どもを預けることが可能な、両親など親族もまた同様であった場合は、子どもは、養子縁組を行うなり里親に託すなり児童養護施設に入所させるなりして、手放しましょう。
児童養護施設もまだまだ、子どもの生育環境として、けしてよいものとは言えませんが、少なくとも、人格障害の親のもとで生活し、成長するよりは、はるかにましです。
 ■ 友人・知人が、人格障害なのですが、どうすればよいでしょうか?
必ずしも、一切の関係を絶つ必要はありませんが、必ず、相手と自分との間に、きちんと境界設定(境界線/バウンダリーを引くこと)を行い、一定以上の距離を保って付き合いましょう。
人格障害者の言動に、巻き込まれたり振り回されたりしないように、注意しなければなりません。
もし、それができないようであれば、その場合は、一切の関係を絶つ必要があります。
なお、あなたが、人格障害者を甘やかさず、しかるべききびしい対応を徹底すれば、失望し嫌気がさした人格障害者の方から勝手に去っていきます。
もし、そうならずに、ずるずると関係が続くとすれば、それはあなたの対応が誤っているということです。
※あとは、上記項目(恋人 or 配偶者の場合)を参照してください。
 
 
 
最後に
 
 本FAQの内容をきびしいと感じたり、受け止めるのに躊躇や困難が生じるのは、あなたがCPTSD者/人格障害者であるなら、むしろ当然であり、やむを得ません。
 たとえば、「書かれていることはもっともなんだけど、きびしいなあ」と思うのは、素直な感想として、まったく問題ありません。
 ただし、理解や受容ができないからといって、感情的になり、やみくもに否定したり反発しているうちは、あなた自身が自己の未熟さや現実から目をそらし、回復・成長に至る可能性を自ら閉ざしているにすぎないのです。
 あなたが自分では自助努力と思っているものは、自助努力とはとても呼べない、的はずれでとんちんかんな別の何かです。
 あなたの甘い認識と願望に添った、あなたが夢想し思い描いているような安直で虫のよい回復プロセスなどまやかしであり、存在しません。
 真の回復・成長は、本FAQに記したような、きびしい(そして至極当然の)自助努力を経ずには達成できないのです。
 我執や我欲・俗欲を捨てたストイックな思想・生活スタイルを厳守し、回復・成長作業への取り組みに専念しましょう。
 
 
 
 
CPTSD/人格障害 FAQ




『蒼穹』 (C) SLAN